メインコンテンツ

月8日



京都御所


京都御所(きょうとごしょ、旧字体:京都󠄀御所󠄁)は、京都府京都市上京区にある皇室関連施設[5]。

1337年(建武4年)から1869年(明治2年)までの間の内裏・禁中・禁裏・宮中(歴代天皇並びに後宮や世子などが居住し朝廷として儀式・公務を執り行った場所の事で、現在の皇居とほぼ同義)。現存する建物は概ね1855年(安政2年)に造営した安政度内裏である。現在の京都御所は、宮内庁京都事務所が管理している。

概要
京都御所の位置(京都市内)京都御所京都御所平安京 大内裏平安京
大内裏
京都御所の位置
平安遷都(延暦13年・794年)時の内裏は、現在の京都御所よりも1.7キロ西の千本通り沿いにあった。現在の京都御所は、もと里内裏(内裏が火災で焼失した場合などに設けられた臨時の内裏)の一つであった土御門東洞院殿の地である。南北朝時代(14世紀半ば)から北朝側の内裏の所在地として定着し、明治2年(1869年)、明治天皇の東京行幸時まで存続した[6][7]。明治以降は京都皇宮(きょうとこうぐう)とも称される。


最初期の京都御所(南北朝時代の土御門東洞院殿)
土御門東洞院殿は、1337年9月26日(建武4年9月2日)に北朝2代光明天皇が居住して以降[8]、明治天皇の東京奠都に至るまで約530年間にわたって使用され続けた内裏である。当初は東西一町南北半町の敷地だったが、足利義満によって敷地が拡大され、その後織田信長や豊臣秀吉による整備を経て現在の様相がほぼ固まった。内裏は江戸時代だけでも慶長度(1613年)、寛永度(1642年)、承応度(1655年)、寛文度(1662年)、延宝度(1675年)、宝永度(1709年)、寛政度(1790年)、安政度(1855年)と8回も再建されており、このうち慶長度と寛永度は旧殿を取り壊しての建て替え、それ以外は火災焼失による再建となっている[9]。

現在の京都御所

徳川11代将軍・家斉は、当時蟄居中であった老中松平定信に命じ、有職故実の大家裏松固禅(光世)の書『大内裏考證(だいだいりこうしょう)』を参考とし、寛政の造営は有職故実を重んじ、平安京の古制に則って再建された。これが寛政2年(1790年)の寛政度の造営である。

その後、嘉永7年(1854年)4月6日から4月7日、この御所の東南にある大宮御所芝御殿孝順院(掌侍)住居から出火し、内裏も焼失した。

現在の造営は、徳川13代将軍・家定が、孝明天皇の勅命を受け、老中阿部正弘に命じて再建される。安政2年(1855年)11月23日に再建がなり、これが安政度の造営といわれる。

慶応元年(1865年)~慶応2年(1866年)2月以降、現在の形となった。

現在は京都御所の元であった土御門東洞院(4,363坪)の約8倍である。

(現在の京都御所の敷地)

総面積 3万3400坪(110,413.2㎡)

南北東側446m、西側450m、東西北側244.5m、南側248.5m

京の都は、延暦13年(794年)10月22日、第50代・桓武天皇により、奈良県の平城京から京都府の長岡京、そして平安京へと都を移されたのが始まりである[10]。

1869年(明治2年)に東京へ都が奠都すると同時に明治天皇も東幸した。1877年(明治10年)、東京の皇居に移っていた明治天皇が東幸以来に京都を訪れた際、東京行幸後10年も経たたずにして施設及び周辺の環境の荒廃が進んでいた京都御所の様子を嘆き、『京都御所を保存し旧観を維持すべし』と宮内省(当時)に命じた。その翌年にも明治天皇は京都御所を巡覧し、保存の方策として『将来わが朝の大礼は京都にて挙行せん』との叡慮を示して、1883年(明治16年)には京都を即位式・大嘗会の地と定める勅令を発している[11]。旧皇室典範第11条の規定はこれを承けて制定に至った。

京都御所の殿舎や建築物は、その後に明治から大正にかけ、内侍所(賢所:1855年造営の橿原神宮へ移築され国重要文化財指定[12])及び神嘉殿(橿原神宮移築後焼失[13][14])や対屋(女官宿舎)などの建物が撤去された。1945年(昭和20年)には、総建築面積の半数近くが建物疎開(空襲による類焼防止)の名のもとに解体された。併せて殿舎と殿舎を繋ぐ廊下にあった杉戸絵等は現在は宮内庁京都事務所が保管管理している[15]。戦後には、1954年(昭和29年)には、近隣で打ち上げられた花火が飛来して小御所(一部襖絵現存[16])が焼失している。その後1970年代前半にかけて、焼失した小御所や戦時中に解体された渡廊下などの一部が復元され、現在に至っている。

仙洞御所庭園と醒花亭(京都市)
京都御所に隣接して京都大宮御所、京都仙洞御所がある。京都大宮御所は、後水尾天皇の中宮の東福門院のために造進されたのに始まり、現在の建物は英照皇太后(孝明天皇女御)のために造営され、慶応3年(1867年)に完成したものである。現在は天皇、皇后の京都府への行幸啓(旅行)の際の宿泊や国賓の宿泊に使用されている。京都仙洞御所は後水尾上皇の退位後の住まいとして造られたものだが、現在は庭園と茶室を残すのみである。

現在は京都御所、京都大宮御所と京都仙洞御所は国有財産で、宮内庁が管轄する「皇室用財産」に分類されており、これらの周囲の国民公園である京都御苑を環境省が管理している。京都市民は京都御苑も含めて、単に「御所」(ごしょ)と呼ぶ事が多い。