
明石市(あかしし)は、近畿地方の中部、兵庫県南部の明石海峡に面する市。兵庫県東播磨県民局に区分されており、中核市に指定されている。1919年(大正8年)市制施行。
本項では、市制施行前の名称である明石郡明石町(あかしちょう)についても述べる。
概要
日本標準時を決める東経135度線が通ることで知られる。日本標準時は明治初期は京都・伏見を基準地点としたが、1886年から国際的に地球の経度・360度を24分割する15度の倍数の子午線を基準とすることとなり、日本では東経135度が日本標準時子午線と定められたことで、線上に位置する明石が「子午線のまち」として定着した。子午線上の明石市立天文科学館には、日本標準時を刻む大時計が設置されている[注釈 1][1]。
明石藩の城下町を中心に発展し、1919年に市制を施行した(兵庫県下4番目)。明石郡の中心都市でもあったが、1940年代に明石郡の町村の多くが神戸市に編入されたため、明石市域となっているのは旧明石郡の南西部に過ぎない。一方で1951年に加古郡二見町を編入している。
市域は瀬戸内海(大半は播磨灘だが朝霧川以東は大阪湾)に面して東西に長く、南は明石海峡を挟んで淡路島に対面する。明石海峡は古代から畿内と西国を結ぶ重要な海上交通路で、陸上交通路も山陽道(官道)の明石駅(駅家)や西国街道の大蔵谷宿が置かれていた。淡路島との間にも明石港 - 岩屋港間に明石フェリーが就航していたが、1998年に神戸市垂水区東舞子町と津名郡淡路町(現・淡路市)岩屋を結ぶ明石海峡大橋が開通し、2012年に廃止された。
神戸都市圏に含まれるが、JR西日本の西明石駅と明石駅は1970年の運行開始時から新快速停車駅であり、大阪駅までの所要時間も40分程度で済む。大都市へのアクセスの良さや子育て支援などの福祉施策の充実といった理由で、人口が増加している[2]。
市役所・出先機関
市役所本庁 : 明石市中崎1丁目5-1
市民センター・サービスコーナー
大久保市民センター :明石市大久保町大窪612-1
魚住市民センター : 明石市魚住町西岡500-1
二見市民センター : 明石市二見町東二見457-1
明舞サービスコーナー : 明石市松が丘2丁目3番7号(松が丘ビル2階)
西明石サービスコーナー : 明石市小久保2丁目7番地の20(PLiCO西明石1階)
高丘サービスコーナー : 明石市大久保町高丘3丁目3(高丘コミセン中央集会所)
江井島サービスコーナー : 明石市大久保町江井島794-8
隣接する自治体・行政区
市境の大半は神戸市で、わずかに残る西側を稲美町、加古川市、播磨町で分けている。神戸市への通勤率は29.6%である(平成22年国勢調査)。
神戸市(垂水区・西区)
加古川市
加古郡稲美町、播磨町
(明石海峡を挟んで)淡路市
歴史
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、明石西本町・明石東本町・明石中町・明石西魚町・明石東魚町・明石材木町・明石樽屋町・明石細工町・明石相生町・明石鍛冶屋町・明石船町・明石戎町・明石新浜・明石西新町・当津村・王子村・大明石村・大蔵谷村の区域をもって明石郡明石町が発足。
1911年(明治44年)3月30日 - 現在の市章となる町章を制定する[3][4][5]。
1919年(大正8年)11月1日 - 明石郡明石町が市制施行して明石市となる[6][7]。
1929年(昭和4年)10月26日 - 市制10周年を記念して11月1日付で明石市歌を制定する告示を行う[8]。
1931年(昭和6年) - 明石郡大久保町西八木通称屏風が浦海岸で腰骨が発見され、人類学者長谷部言人博士により明石原人と名づけられる。
1942年(昭和17年)2月11日 - 明石郡林崎村を編入[9]。
1946年(昭和21年)10月21日 - 神戸刑務所が神戸市から明石市大久保町に移転[10]
1947年(昭和22年)6月13日 - 昭和天皇が明石市に行幸(昭和天皇の戦後巡幸の一環)。県立農事試験場を視察した[11]。
1949年(昭和24年)
2月20日 - 市内錦江町から出火。市場250戸と家屋446戸が全半焼[12]。
4月6日 - 市内に天皇、皇后が行幸啓(神戸市垂水区で行われた全国植樹祭後の視察)。大和製衡、明石公園、明石城本丸跡などを視察[13]。
1951年(昭和26年) 1月10日 - 明石郡大久保町・魚住村・加古郡二見町を編入し、現在の市域となる[14]。なおこれにより、明石郡が消滅。
1955年(昭和30年)1月 - 神戸市との合併の可否を問う住民投票を実施、反対多数で不成立となる(昭和の大合併)。
1968年(昭和43年)12月9日 - バレホ市と姉妹都市を締結[15]。
1975年(昭和50年) - 明石市内の公立高校の公立入試において総合選抜制度を実施。
1981年(昭和56年)8月29日 - 無錫市と友好都市を締結[16]。
1995年(平成7年)1月17日 - 阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)により明石市全域が被災、死者4名を出す[17]。
1998年(平成10年)10月25日 - 津名郡東浦町、淡路町、北淡町と「明石・北淡路海峡交流懇話会」を設立する[18]。
2001年(平成13年)7月21日 - 明石市民夏まつりの開催中に明石花火大会歩道橋事故が発生、死者11名・重軽傷者247名を出す[19]。
2001年(平成13年)12月30日 - 明石砂浜陥没事故が発生、4歳児が翌年死亡[20]。
2002年(平成14年)4月1日 - 特例市へ移行[21]。
2005年(平成17年)5月15日 - 養父市と交流協定を締結[22]。
2008年(平成20年) - 総合選抜制度を廃止。
2018年(平成30年)4月1日 - 中核市へ移行[23]。
2021年(令和3年)4月1日 - 人口30万人突破[24]。
本項では、市制施行前の名称である明石郡明石町(あかしちょう)についても述べる。
概要
日本標準時を決める東経135度線が通ることで知られる。日本標準時は明治初期は京都・伏見を基準地点としたが、1886年から国際的に地球の経度・360度を24分割する15度の倍数の子午線を基準とすることとなり、日本では東経135度が日本標準時子午線と定められたことで、線上に位置する明石が「子午線のまち」として定着した。子午線上の明石市立天文科学館には、日本標準時を刻む大時計が設置されている[注釈 1][1]。
明石藩の城下町を中心に発展し、1919年に市制を施行した(兵庫県下4番目)。明石郡の中心都市でもあったが、1940年代に明石郡の町村の多くが神戸市に編入されたため、明石市域となっているのは旧明石郡の南西部に過ぎない。一方で1951年に加古郡二見町を編入している。
市域は瀬戸内海(大半は播磨灘だが朝霧川以東は大阪湾)に面して東西に長く、南は明石海峡を挟んで淡路島に対面する。明石海峡は古代から畿内と西国を結ぶ重要な海上交通路で、陸上交通路も山陽道(官道)の明石駅(駅家)や西国街道の大蔵谷宿が置かれていた。淡路島との間にも明石港 - 岩屋港間に明石フェリーが就航していたが、1998年に神戸市垂水区東舞子町と津名郡淡路町(現・淡路市)岩屋を結ぶ明石海峡大橋が開通し、2012年に廃止された。
神戸都市圏に含まれるが、JR西日本の西明石駅と明石駅は1970年の運行開始時から新快速停車駅であり、大阪駅までの所要時間も40分程度で済む。大都市へのアクセスの良さや子育て支援などの福祉施策の充実といった理由で、人口が増加している[2]。
市役所・出先機関
市役所本庁 : 明石市中崎1丁目5-1
市民センター・サービスコーナー
大久保市民センター :明石市大久保町大窪612-1
魚住市民センター : 明石市魚住町西岡500-1
二見市民センター : 明石市二見町東二見457-1
明舞サービスコーナー : 明石市松が丘2丁目3番7号(松が丘ビル2階)
西明石サービスコーナー : 明石市小久保2丁目7番地の20(PLiCO西明石1階)
高丘サービスコーナー : 明石市大久保町高丘3丁目3(高丘コミセン中央集会所)
江井島サービスコーナー : 明石市大久保町江井島794-8
隣接する自治体・行政区
市境の大半は神戸市で、わずかに残る西側を稲美町、加古川市、播磨町で分けている。神戸市への通勤率は29.6%である(平成22年国勢調査)。
神戸市(垂水区・西区)
加古川市
加古郡稲美町、播磨町
(明石海峡を挟んで)淡路市
歴史
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、明石西本町・明石東本町・明石中町・明石西魚町・明石東魚町・明石材木町・明石樽屋町・明石細工町・明石相生町・明石鍛冶屋町・明石船町・明石戎町・明石新浜・明石西新町・当津村・王子村・大明石村・大蔵谷村の区域をもって明石郡明石町が発足。
1911年(明治44年)3月30日 - 現在の市章となる町章を制定する[3][4][5]。
1919年(大正8年)11月1日 - 明石郡明石町が市制施行して明石市となる[6][7]。
1929年(昭和4年)10月26日 - 市制10周年を記念して11月1日付で明石市歌を制定する告示を行う[8]。
1931年(昭和6年) - 明石郡大久保町西八木通称屏風が浦海岸で腰骨が発見され、人類学者長谷部言人博士により明石原人と名づけられる。
1942年(昭和17年)2月11日 - 明石郡林崎村を編入[9]。
1946年(昭和21年)10月21日 - 神戸刑務所が神戸市から明石市大久保町に移転[10]
1947年(昭和22年)6月13日 - 昭和天皇が明石市に行幸(昭和天皇の戦後巡幸の一環)。県立農事試験場を視察した[11]。
1949年(昭和24年)
2月20日 - 市内錦江町から出火。市場250戸と家屋446戸が全半焼[12]。
4月6日 - 市内に天皇、皇后が行幸啓(神戸市垂水区で行われた全国植樹祭後の視察)。大和製衡、明石公園、明石城本丸跡などを視察[13]。
1951年(昭和26年) 1月10日 - 明石郡大久保町・魚住村・加古郡二見町を編入し、現在の市域となる[14]。なおこれにより、明石郡が消滅。
1955年(昭和30年)1月 - 神戸市との合併の可否を問う住民投票を実施、反対多数で不成立となる(昭和の大合併)。
1968年(昭和43年)12月9日 - バレホ市と姉妹都市を締結[15]。
1975年(昭和50年) - 明石市内の公立高校の公立入試において総合選抜制度を実施。
1981年(昭和56年)8月29日 - 無錫市と友好都市を締結[16]。
1995年(平成7年)1月17日 - 阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)により明石市全域が被災、死者4名を出す[17]。
1998年(平成10年)10月25日 - 津名郡東浦町、淡路町、北淡町と「明石・北淡路海峡交流懇話会」を設立する[18]。
2001年(平成13年)7月21日 - 明石市民夏まつりの開催中に明石花火大会歩道橋事故が発生、死者11名・重軽傷者247名を出す[19]。
2001年(平成13年)12月30日 - 明石砂浜陥没事故が発生、4歳児が翌年死亡[20]。
2002年(平成14年)4月1日 - 特例市へ移行[21]。
2005年(平成17年)5月15日 - 養父市と交流協定を締結[22]。
2008年(平成20年) - 総合選抜制度を廃止。
2018年(平成30年)4月1日 - 中核市へ移行[23]。
2021年(令和3年)4月1日 - 人口30万人突破[24]。