橋池山 立江寺

聖武天皇の勅願所だった格式のある寺


高野山真言宗の別格本山。「四国の総関所」として四国八十八ヶ所の根本道場といわれ、また「阿波の関所」としても知られる。縁起によると、聖武天皇(在位724〜49)の勅願で行基菩薩によって創建された。勅命により行基菩薩が光明皇后の安産を祈るため、念持仏として5.5センチほどの小さな黄金の「子安の地蔵さん」を彫造した。これを「延命地蔵菩薩」と名づけて本尊にし、堂塔を建立したと伝えられる。弘仁6年(815)、弘法大師が当寺を訪れ、このご本尊を拝した。大師は、あまりに小さなご本尊なので、後世になって失われる恐れがあると、自ら一刀三礼をして新たに像高1.9メートルもある大きな延命地蔵像を彫造され、その胎内に行基菩薩が彫ったご本尊を納められた。このときに寺名を「立江寺」と号した。当時は現在地より西へ400メートルほど山寄りの景勝地にあって、七堂伽藍を備えた巨刹であったといわれる。
「天正の兵火」(1575〜85)では立江寺も逃れられず、壊滅的な打撃を受けた。だが本尊だけは奇しくも難を免れている。のち、阿波初代藩主・蜂須賀家政公の篤い帰依をうけ、現在の地に移って再建された。また、昭和49年の祝融の災にもご本尊は救い出されている。昭和52年に再建された本堂の格天井画(286枚)は、東京芸術大学の教授等により花鳥風月などが描かれており、観音堂の絵天井とともに昭和の日本画を代表する文化財であると高く評価されている。寺伝の「釈迦三尊図」は、国の重要文化財指定品である。 邪悪な心を裁く関所寺の半面、「子安の地蔵尊」「立江の地蔵さん」と親しまれている。
立江寺は「子安の地蔵尊」あるいは「立江の地蔵さん」との俗称で古くより霊験のあらたかなことで知られ、西国巡礼御詠歌集に高野山、善光寺などとならんで取り上げられている程に全国の善男善女の信仰の篤い名刹です。
天平19年(西暦747年)に聖武天皇の勅命により、光明皇后のご安産を祈願して建立された立江寺には、今も安産を祈願する人の姿が絶えません。
また『四国の総関所』として四国八十八ケ所の根本道場としても知られています。

立江寺の見どころ
肉付き鐘の緒の黒髪堂・白鷺橋・本堂・観音堂の絵天井

恩山寺から約5km

橋池山立江寺

境内案内図



本堂

大師堂