室戸山 最御崎寺

弘法大師が悟りを開いた地にある古刹


「修行の道場」とされる土佐最初の霊場。太平洋の白い波涛が吠えたてる室戸岬の突端にある。黒潮のしぶきにあらわれて鋭角になった黒い岩礁。そのすさまじい響き、空と海が一体となり襲いかかる洞窟の樹下で、藤衣を被って風雨を凌ぎ、虚空蔵求聞持法の修法に励む青年・空海がいた。延暦11年(792)、弘法大師19歳のころとされている。この詳細は、大師が24歳のときの撰述『三教指帰』に次のように記されている。
「…土州室戸崎に勤念す 谷響きを惜しまず 明星来影す 心に感ずるときは明星口に入り 虚空蔵光明照らし来たりて 菩薩の威を顕し 仏法の無二を現す…」
大同2年、唐から帰朝した翌年に大師は、勅命をうけてふたたび室戸岬を訪ねている。虚空蔵求聞持法を成就したこの地に、本尊とする虚空蔵菩薩像を彫造して本堂を建立、創した。嵯峨天皇をはじめ歴代天皇の尊信が厚く、また、足利幕府の時代には土佐の安国寺となり、戦国・江戸時代には武将、藩主などの寄進により、寺運は隆盛した。
当時は、真言密教の道場とされ女人禁制の寺であった。往時、女性の遍路は遙か室戸岬の先端から拝んだといわれるが、明治5年に解禁されている。室戸岬では東西に対峙している二十六番・金剛頂寺が「西寺」と呼ばれ、最御崎寺は「東寺」とも呼ばれており、納経帳等の寺名には東寺と記されている。南国情緒を味わう室戸阿南国定公園の中心にあり、大師が悟りの起源の地でもある。
空海は室戸岬の海蝕洞・御厨人窟で、虚空蔵求聞持法に励みましたが、807(大同2)年に、嵯峨天皇の勅願を受けて本尊である虚空蔵菩薩(秘仏のため拝観は不可)を刻み、最御崎寺を開いています。

江戸時代までは女人禁制で、女性は岬からの登拝口脇にあった女人堂から拝んでいました。
明治初年の廃仏毀釈、神仏分離令で荒廃しますが、大正3年に再興。
霊宝殿には、平安時代後期の作で国の重要文化財にも指定されている仏像3体を収蔵。
霊宝殿の仏像は例年11月初旬に行なわれる『室戸岬灯台まつり』開催時に一般公開されています。
また、境内には「空海の七不思議」といわれ、石でたたくと鐘のような音がするという「鐘石」があるのでお見逃しなく。
宿坊である室戸岬最御崎寺遍路センターを併設。
室戸岬東側には空海が虚空蔵求聞持法を修した御厨人窟(みくろど)があり、番外札所となっています。

四国霊場二十四番札所で平城天皇の大同二年(807)弘法大師空海の開基である。本尊は虚空蔵菩薩で空海一刀三礼の作と伝えられ嵯峨天皇以来の勅願所で,多くの寺領荘園を所有していた。国指定の重要文化財として、薬師如来像、月光菩薩立像で如意輪観音半跏
像及び日和佐八幡宮玄勝の寄進による三足丸盆一対を所蔵しているが中でも如意輪観音半跏像は大理石で作られ有名である。そのほか天延三年(975)の大岩経十巻、慶長十八年の鰐口等がある。また珍しい石像の仁王像は正保元年(1647)二代藩主忠義寄進のものである。真言道場であったので明治初年までは女人禁制であった。なお、足利時代には土佐の安国寺として足利家の土佐の祈願所であった。→室戸市教育委員会
○宿泊(宿坊)はできますが現在(20220317)はコロナ渦中でやっていません。

最御崎寺の見どころ
国指定重要文化財・御厨人窟(みくろど)・明星石(大師が修行中に、星のように光を放ち、毒龍の妨げを防いだという伝説の石。海岸で斑レイ岩として見かけることができる。)

薬王寺から77km

境内案内図


本堂

大師堂