神戸外国人居留地


神戸外国人居留地(こうべがいこくじんきょりゅうち)は、安政五カ国条約に基づき、1868年1月1日(慶応3年12月7日)から1899年(明治32年)7月16日までの間、兵庫津の約3.5 km東に位置する神戸村(後の兵庫県神戸市中央区)に設けられた外国人居留地である。神戸居留地ともいう。

東を(旧)生田川(後のフラワーロード)、西を鯉川(後の鯉川筋)、南を海、北を西国街道(後の花時計線)に囲まれた広さ約7万8,000坪(約258,000平方メートル)の区域が合理的な都市計画に基づいて開発され、「東洋における居留地としてもっともよく設計されている」と評された。一定の行政権・財政権などの治外法権が認められ、居留外国人を中心に組織された自治機構によって運営された。運営は円滑に行われ、日本側と外国側との関係もおおむね良好であったと評価されている。貿易の拠点、西洋文化の入り口として栄え、周辺地域に経済的・文化的影響を与えた。

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                         神戸居留地の地図

   
旧神戸居留地15番館(国指定重要文化財)  指定年月日 平成元年5月19日
 慶応3年12月7日(1868.1.1)の兵庫開港により、126区画、25.8haの外国人居留地が開設され、商館を「中心として領事館やホテル、教会などが次々に建てられました。15番のこの場所に明治14年頃に建築されたこの建物は、神戸市内に残された異人館としては最も古い建物で、木骨煉瓦造2階建、寄棟造、外観は石造り
風意匠となっています。神戸の旧居留地に現存する唯一の遺構として平成元年に重要文化財に指定され、平成2年7月から5年3月にかけて行われた修理工事により明治の面影を取り戻していましたが、平成7年1月17日に発生した阪神・淡路大地震により全壊してしまいました。地震により液状化現象が生じた旧居留地ではこの建物以外にも、29
棟を超すビルが全壊しており、いかに激しい地震であったか窺い知ることができます。
全壊した十五番館でしたが、震災後部材を回収することからはじまった復旧工事は、約
3年の月日と関係者の努力と様々な人々の協力により、震災前の姿を取り戻すことができました。最新の耐震技術である免震工法を採用したわが国最初の文化財建造物として蘇ったこの十五番館は、今後の地震に対して充分耐えるだけの耐震性能を持ち、今後も旧居留地の歴史を伝える唯一の建物として私たちに明治の面影を伝えてくれることでしょう。  平成11年4月 神戸市教育委員会                    
日本眞珠會館(にほんしんじゅかいかん)は兵庫県神戸市の旧居留地東町筋にあるオフィスビル。近代化産業遺産。
戦前には日本の真珠取引の約8割を担っていた神戸に、日本が世界の真珠取引の中心となることを目指す拠点として、兵庫県と関西真珠協同組合が共同で設置した日本真珠会館設立委員会により、1952年(昭和27年)に建設されたオフィスビルである。
建設にあたっては日本最初の全自動ベネシャンブラインドをはじめ全自動式エレベーター(現存)、全館蛍光灯(現存)採用など、戦後復興期における最新鋭の設備が導入された。竣工後間もない1954年には昭和天皇・皇后が訪れている。
1980年に日本真珠輸出組合の所有となり、2008年6月1日に1階ロビーに真珠をテーマとする博物館「神戸パールミュージアム」が設けられ、現在に至っている。1990年代になるとモダニズム建築の秀作として高く評価されるようになり、近代化産業遺産および国の登録有形文化財に登録、DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築などにも定められていた。

また 訪れた日(2022年4月23日)はブラジルの花イッペが美しかった。



旧神戸居留地十五番館

日本真珠会館

イッペの花