更新:2015年12月21日



金剛寺は孝徳天皇の御世、白雉2年(651年)に開創された。法道仙人の開基であり、本尊千手観音は法道仙人の作と伝わる。[1] 山号は法道仙人が当地に意の如く寺院の建立が成就したことから「如意山」と名付けられた。
天正年間の三木合戦では織田軍の兵火により伽藍を焼失したが、当時の住職であった良盛法印が豊臣秀吉の祐筆となっていた大村由己(元金剛寺の寺僧)を仲介して豊臣秀吉に金剛寺再興を願い出た。その後再興が許可されて天正8年(1580)に茅葺の草堂を建てた。 また、寺内には三木合戦で戦死した織田軍の武将谷大膳亮衛好や、同じく戦死した一族の位牌と墓が祀られている。
江戸時代、草堂が傾倒したため造替を行い、本堂、薬師堂、鎮守社が再建され貞享3年(1686年)入仏供養が行われた。 同時代、境内には普門院、中之坊、如意坊、多聞坊、中蔵坊などの塔頭が存在し山間一帯を所有していた。 現在は普門院、中之坊、如意坊が残り、他の塔頭は途絶えている。

2021年5月8日現地へいった。ばいかうつぎ、フランスギク、シャクナゲなど色々な花があり入り口の寺院より、奥の方にたくさんの塔頭があった。あじさいがその時点ではさいてはいなかったが6月中旬から7月ごろはきれいであろうと推察できる。
寺院の入り口駐車場のところにはバイカウツギがさいており、寺院の経営する墓にはフランスギクがさいていた。奥には寺院の本堂があった。


金剛寺
ばいかうつぎ(入り口駐車場横)

金剛寺
金剛寺本堂(奥の方にあります)

金剛寺
  金剛寺経営の墓に咲くフランスギク