更新:2022年2月12日


2022年2月12日神戸市垂水区宮本町にある海神社に行ってきました。国道2号線からはいりましたがあたり一面は駐車場になっていました。
海神社のホームページ

海神社は(古名アマ神社又はタルミ神社、現在はカイ神社、又は御祭名によりワタツミ神社といっています。

御由緒
今から千数百年の昔、神功皇后が三韓征伐を終えてお還りのとき、暴風雨のためどうしても御座船(ござぶね)を進めることができなくなりました。皇后が御みずから綿津見三神をお祭りになり、ご祈願されましたところ、たちまち風波がおさまり御無事に都へお還りになりました。その時神功皇后が綿津見三神をお祭りになったところに御社殿を建て、御神徳を仰いだのが鎮座の由来であります。
 綿津見三神は総称して綿津見大神(わたつみおおかみ)とも申し、伊弉諾神(いざなみのかみ)が黄泉の国からお還りになった時筑紫(つくし)日向(ひむか)(たちばな)小戸(おど)阿波岐原(あわぎはら)にて、身禊(みそぎ)を行った時にお生まれになられた三柱の海神であり、伊弉諾神のお子様で天照皇大神(あわてらすすめおおかみ)素戔嗚尊(すさのおのみこと)・住吉三神とは御兄弟にあたる神様であります。
 綿津見大神の姉娘 豊玉姫尊(とよたまひめのみこと)彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)に嫁がれて、鵜鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)をお生みになりました。彦火々出見尊は山幸彦(やまさちひこ)の別名であります。彦火々出見尊(山幸彦)は兄の神 火闌尊(ほすそりのみこと)海幸彦(うみさちひこ))より預かった釣針失って途方にくれ、海中の綿津見大神の宮を訪れた時、豊玉姫尊と結婚されました。三年の後、彦火々出見尊がお帰りになる時、綿津見大神は釣針と一緒に潮満珠(しおみつたま)潮干珠(しおひるたま)満珠干珠(みつたまひるたま))をお授けになりました。彦火々出見尊は満珠干珠の霊力によって水をつかさどり、兄神の無理難題を退けられました。綿津見大神の妹娘 玉依姫尊(たまよりひめのみこと) 鵜鶿草葺不合尊に嫁がれて、神武天皇をお生みになりました。
  この御神徳により、航海安全・漁業繁栄の神として仰がれることはいうまでもなく、身禊(みそぎ)でお生まれになられた神であることから、災罪退除(さいざいたいじょ)清祓(きよはらい)の神として、さらに当地が、古代交通の要地であったことから交通安全の神として仰がれております。
 また,豊玉姫尊が鵜鶿草葺不合尊をお生になるとき、大変安産であったことから、安産祈願の神でもあり、満珠干珠の霊力によって水をつかさどり、厄難を去る神であることから、水産業・農業をはじめ、水によって生活し、水によって生計を立てる人の守護神であり、開運厄徐の神でもあります。
 海神社は別名 衣財田(えたからだ)大明神(又は衣財(えたからだ)の神)とも言われています。この名が示すとおり、漁業・農業・商売などすべての家業繁栄・家運降昌・衣食住満足の神として広く崇敬されています。→海神社の御由緒略記による



本殿


七福神


御朱印