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室生寺

更新:2022年5月26日

室生寺は2022年5月25日に行きました。もうシャクナゲの開花時期は終わっていました。
また寺の前の池の淵には九輪草がありましたが、これも時期を終了していました。
寺には紅葉がたくさん植えられており、紅葉が紅葉する時期はさぞ素晴らしいと思います。
山奥にある素晴らしい寺でした。

室生寺(むろうじ)は、奈良県宇陀市室生にある真言宗室生寺派の大本山の寺院。山号は宀一山(べんいちさん)もしくは檉生山(むろうざん)。本尊は如意輪観音。「女人高野」の別称がある。
奈良盆地の東方、三重県境に近い室生の地にある山岳寺院である。宇陀川の支流室生川の北岸にある室生山の山麓から中腹に堂塔が散在する。平安時代前期の建築物や仏像を伝え、境内はシャクナゲの名所としても知られる。
平安時代を通じて興福寺別院としての性格が強く、俗世を離れた山林修行の場、また、諸宗の学問道場としての性格も持っていた。中世以降の室生寺は密教色を強めるものの、なお興福寺の末寺であった。興福寺の傘下を離れ、真言宗寺院となるのは江戸時代のことである。真言宗の拠点である高野山がかつては女人禁制であったことから、女性の参詣が許されていた室生寺には「女人高野」の別名があるが、この別名は江戸時代以降のものである[2]。
室生の地は火山性地形のため、奇岩や洞穴が多い。洞穴は竜穴、すなわち竜神の住み家として信仰を集め、当地は祈雨や止雨の霊地とみなされた[3]。史料によれば、この寺は奈良時代末期の宝亀年間(770年 - 781年)、興福寺の僧・賢璟(714年 - 793年)によって開かれた。創建については、役小角(役行者)の草創、空海の再興とする伝えもあるが、これらは後世の付託である[4]。

室生寺の創建にかかわる根本史料として、『宀一山年分度者奏状』(べんいちさん ねんぶんどしゃ そうじょう)という文書がある(年分度者とは、毎年人数を限って得度を許された、国家公認の僧のこと)。この文書は承平7年(937年)の作成であるが、現存するものは南北朝時代の写本で、神奈川県立金沢文庫が所蔵する。本文書は年分度者を賜ることを奏上するためのものであるが、その前文に室生寺の歴史について記している。それによると、宝亀年間、時の皇太子(山部親王、後の桓武天皇)が病を得た際、浄行僧(行いの正しい僧)5名を室生山に派遣して延寿法を修させたところ効験があった。その後、賢璟は山部親王(または即位後の桓武天皇)の命で室生山に寺を建立したという。前述の「浄行僧5名」には賢璟も含まれていたと推定される[5]。

なお、宝亀年間に賢璟はすでに60歳代で、彼の在世中にどこまで寺観が整っていたかはわからず、室生寺の実質的な創建者は次代の修円(771年 - 835年)であろうといわれている[6]。修円は興福寺別当を務めると共に、日本天台宗の宗祖である最澄とも交流があった[7]。修円の在世中には、空海の高弟である真泰が室生に入山[8]。承和10年(835年)頃には円修と堅慧(けんえ/けんね)が入山している。円修は修円と混同されたこともあったが別人の天台宗の学僧で、初代天台座主の義真の弟子である。堅慧は空海の弟子とされ、かつては真言僧と考えられていたが、園城寺(三井寺)に伝わる「大唐国日本国付法血脈図記」によれば、やはり義真の弟子とされている[9]。

室生寺は中世を通じ興福寺末寺であったが、江戸時代の元禄7年(1694年)に護持院隆光の拝領するところとなり、護国寺末の真言寺院となった。翌年、徳川綱吉生母の桂昌院は室生寺に2千両を寄進し、これをもとに堂塔の修理が行われた。元禄11年(16室生寺は中世を通じ興福寺末寺であったが、江戸時代の元禄7年(1694年)に護持院隆光の拝領するところとなり、護国寺末の真言寺院となった。翌年、徳川綱吉生母の桂昌院は室生寺に2千両を寄進し、これをもとに堂塔の修理が行われた。元禄11年(1698年)、室生寺は真言宗豊山派の一本寺となって護国寺から独立し、現代に至る。

1964年(昭和39年)には真言宗豊山派から独立し、真言宗室生寺派の大本山となった。

寺のパンフレットによれば「宀一山縁起(べんいちさんえんぎ)によると室生寺は奈良時代の白鳳(はくほう)9年(680)に天武天皇の勅命をもって修験道の祖・役小角がはじめて建てたと伝えています。また宀一山年分度者奏状には、桓武天皇が皇太子のとき病に伏し、室生山中で延寿祈祷により快復した。それが縁で平安初期の延暦年間(782-806)天皇の勅命により興福寺(法相宗)の高僧・賢璟が弟子の修圓(しゅうえん)とともに建てたと伝えています。
 さらに、承和2年(835)真言宗の祖・弘法大師空海が遺言された「御遣告(ごゆいごう)」には唐の師・恵果から授かった、国に平和をもたらし、人々の願いをかなえるインド伝来の如意宝珠を室生山で修業した堅慧(けんね)に託して善如龍王(ぜんねりゅうおう)の棲む精進峰に大切に納めたと伝えられています。以来、真言宗の重要な道場の一つとして篤い信仰を集めています。
なお奥の院(御影堂)までの階段(石段)は806段あります。しかも急です。
室生寺のホームページ

室生寺の境内図

この太鼓橋を渡っていく

山門


石段を登っていく


金堂

本堂(灌頂堂(かんじょうどう)


五重塔


御朱印