五台山 竹林寺

桜と紅葉の名所にたたずむ山上の古寺


土佐の高知の播磨屋橋で坊さんかんざし買うを見た…で有名な「よさこい節」の舞台であるほか、学僧・名僧があつまる「南海第一道場」とされた学問寺院としても知られる。鎌倉から南北朝時代の高名な臨済宗の学僧、夢窓国師(1275〜1351)が山麓に「吸江庵」を建てて修行、2年余も後進の育成に努めた。また、門前横には高知が生んだ世界的な植物学者、牧野富太郎博士(1862〜1957)の記念館と県立牧野植物園があるように、土佐の信仰や文化の中心地とも、土佐随一の名刹ともいわれた。
縁起では、神亀元年ころ、聖武天皇(在位724〜49)が中国・五台山に登り、文殊菩薩に拝した夢を見た。天皇は、行基菩薩に五台山の霊地に似た山容を見つけるよう命じた。行基菩薩はこの地が天皇の霊夢にふさわしいと感得、自ら栴檀の木に文殊菩薩像を彫り、山上に本堂を建てて安置した。その後、大同年間(806〜10)に弘法大師がここに滞在して瑜伽行法を修法し、荒廃した堂塔を修復、霊場にされたという。

慶長6年(1601)に山内一豊公が土佐初代藩主になって以来、歴代藩主の帰依が厚く、祈願所として寺運は隆盛した。「文殊堂」と呼ばれる本堂は、江戸時代前期の建立で国の重要文化財。この他、山門左手の宝物館には藤原時代から鎌倉時代にかけての国指定重要文化財の仏像17躰が収蔵されており、まさに県内きっての文化財の宝庫といえる。
眼下に高知の市街が眺められ、瓢箪形に食い込んだ浦戸湾が美しく広がって見える。

竹林寺は神亀元年(724)、聖武天皇(しょうむてんのう)の勅願(ちょくがん)を奉じた僧・行基(ぎょうき)により唐の五台山(現在の中国山西省五台山)になぞらえ開創されました。

開創の縁起には、仏教の崇敬の念篤い時の帝・聖武天皇はある夜、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の霊場として名高い大唐の五台山に登り、かの地で親しく文殊菩薩から仏教の奥義を授かるという霊夢をご覧になりました。これをたいそうお喜びになった帝は、行基に日本国中よりかの大唐五台山に似た霊地を探し、伽藍(がらん)を建立するように命ぜられたのでした。
やがて土佐のこの地が選ばれ、行基自ら謹刻した文殊菩薩像を本尊とし当山は開創されたと伝えられています。
時代は下り、大同年間(806~809)には弘法大師が四国回国の砌、当山に錫(しゃく)を留めて修行され、この由縁をもって、当山はのちに四国霊場第三十一番札所に定められるところとなりました。
その後、時代を経て江戸時代に至っては、土佐代々藩主の帰依を受け、藩主祈願寺として寺運は隆盛。堂塔は土佐随一の荘厳を誇り、学侶が雲集し、学山(がくざん)(学問寺)として当地における宗教・文化の中心的役割を担うに至りました。今日、土佐の民謡「よさこい節」で広く親しまれている純信(じゅんしん)・お馬の恋物語。その僧・純信も江戸時代末、当山の脇坊・南の坊に住む修行僧のひとりでした。

しかし、明治初頭の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の難は当山といえどもこれを避け難く、寺運は一時衰微しましたが、その後、かつての寺観を取り戻すべく伽藍の復興整備を進め、ようやく往古の輪奐(りんかん)に復するに至りました。
今日、み仏を拝す人々の参詣の香煙は絶えることなく、また、緑豊かな寺域は四季の自然の折々を楽しむ人々の憩いの場としても広く親しまれています。

竹林寺は真言宗智山派に属しています。

本堂:(文珠堂)智恵の仏様として尊ばれる文殊菩薩を本尊に祀ることから文殊堂とも呼ばれる本堂は、寛永二十一年(1644年)土佐二代藩主山内忠義公により造営されました。今日、当山に現存する最古の建造物で、国重要文化財に指定されています。室町時代様式、一層入母屋、五間四方、柿葺(こけらぶき)のこの本堂は荘重な佇まいの中に唐様の軽快な曲線を見せる軒反りや、放射状に広がった扇垂木など、密教寺院建築の中でも特異な建築様式を随所に見ることができます。堂内には本尊文殊菩薩・四侍者像をはじめ白衣観音、馬頭観音(以上、すべて国重要文化財)・聖観音、不動明王を祀りしています。

本尊 文殊観音「智恵の仏さま」「三人寄れば文殊の智恵」と親しまれる文殊菩薩さま
当山の本尊は古くより、「切戸の文殊(京都府宮津市)「安倍お文殊」(奈良県桜井市)とともに「日本三大文殊」のひとつに数えられています。その尊像は竹林寺を開創した僧・行基によって謹刻されたと伝えられ、四人侍者を伴う文殊五尊像形式ではわが国最古の作例と言われています。ご本尊・文殊菩薩さまは寺則により秘仏とされ、五十年に一度のご開帳と定められています。(次回の開帳2064年)

竹林寺の看板から
高知の名前の由来?
時代は江戸時代のはじめ。現在の高知市は「河中(こうち)」と言われ、城下はたびたび洪水に襲われるなど水害が絶えず、町づくりは困難を極めていた。そこで土佐二代藩主・山内忠義公は当時竹林寺の住職だった空鏡上人(くうきょうしょうにん)に地名の改名を頼んだ。竹林寺は山内家の祈願寺として篤く信仰されていたんだ。こうして新たに名付けられたのが「高智(こうち)」竹林寺のご本尊・文殊菩薩さまのお智恵を借りて、町が繁栄し、人々が幸せに暮らせるように願いをこめられたのだそうだ。それが転じて「高知」となったんだそうだ。竹林寺の名前の由来は中国にあるんだそうだ。
時代は遡って奈良時代、仏教に篤く信仰をよせていた聖武天皇は文殊菩薩の霊場として名高い唐の五台山(現在の中国・山東省五台山)にある竹林寺を訪れる夢をみた。これを大変喜んだ聖武天皇は、当時の高僧だった行基を呼んで、唐の五台山に似た霊地を日本中から探し、そこに同じく文殊菩薩さまを祠るお寺を建てるうように命じたんだ。こうして724年この地に竹林寺ができた。ご本尊である文殊菩薩さまは行基みずから謹刻したお像といわれているんだ。

竹林寺の見どころ
五台山・五重塔・庭園(夢窓国師の作と伝えられ、国の指定名勝。)

善楽寺から徒歩約8km、車約9km

境内案内図

隣に牧野植物園(高知県立植物園)があります。


本堂(文殊堂)

大師堂

五重塔