^


更新:2015年9月16日

宮島観光と厳島神社




 厳島神社の由緒
 厳島神社の御祭神は天照皇大神(あまてらすおおみのかみ)
素戔鳴尊(すさおのみこと)高天原(たかまがはら)で剣玉の御誓(うけい)をされたときにご出現になった
神々で、御皇室の安泰や国家鎮護、又は海上の守護神として
古くから尊信を受けられた

宮島には神烏(おがらす)と共に御降臨され、御鎮座地探されるにあたり、この地を治める佐伯鞍職(さえきのくらもと)公に神勅が下った。
鞍職公は神烏の先導のもと御祭神と共に島の浦々を巡り、海水のさし引きするこの地を選んで御社殿を建てた。
推古(すいこ)天皇御即位の年(593年)伝えられる。
    その後厳島神社を篤く崇敬した平清盛公が仁安3年(1168年)に
御社殿を寝殿造りとし、現在のような規模に改築した。
清盛公の官位が上がるにつれ平家一門のみならず、
承安4年(1174年)には後白川法皇の御幸、治承4年(1180年
3月と9月には高倉上皇の御幸があるなど、多くの皇族・貴族
参詣され、、都の文化や建築様式がもたらされた。
 厳島神社に対する崇敬は、平氏から源氏の世になっても
変わることがなく、又時代が移り室町時代から足利尊氏や
義満、戦国時代の大内氏や毛利氏などからも崇敬された。
    松島・天橋立と並び日本三景「安芸(あき)の宮島」
として知られ、平成8年(1996年)12月にはユネスコの
世界文化遺産に登録され、厳島神社社殿をはじめ
前面の海と背後の弥山(みせん)が、人類共通の文化遺産として
後世に継承されることになった。
   厳島神社のパンフレットより



 宮島は松島・天の橋立と並び日本三景のひとつとして知られる景勝地である。古代から島そのものが自然崇拝の対象だったとされ、平安時代末期以降は厳島神社の影響力の強さや海上交通の拠点としての重要性からたびたび歴史の表舞台に登場した。江戸時代中期からは、日本屈指の観光地として栄えてきた。現在では人口1800人余りの島に国内外から年間300万人を超える参拝客及び観光客が訪れており[3]、2011年には、トリップアドバイザーが「外国人に人気の日本の観光スポット」トップ20の第1位と発表した。原爆ドームとならんで広島県の代名詞的存在になっている。景勝地としての厳島の中心は、厳島神社である。海上に浮かぶ朱の大鳥居と社殿で知られる厳島神社は、平安時代末期に平清盛が厚く庇護したことで大きく発展した。現在、本殿、幣殿、拝殿、祓殿、廻廊(いずれも国宝)などのほか、主要な建造物はすべて国宝または国の重要文化財に指定されている。
 「厳島」「宮島」の使い分けについて・・ 「厳島」と「宮島」という呼称の使い分けについては、明確な決まりはない。観光PR上、読みやすさや漢字の平易さから「宮島」を選ぶことも多いという程度である。自治体としても、1889年に町制が施行されたときには「厳島町」であったが、戦後の1950年に「宮島町」に変更されるなどゆれがあった。


 
 厳島神社境内


2015年9月14日撮影
   
 大鳥居  引き潮のため「青のり」が現れる
   
 入り口  神社本殿
   
 能舞台 豊国神社五重塔 
   
 大願寺の千畳閣 厳島神社御朱印