更新:2016年8月20日


 湯島聖堂(ゆしませいどう)は、元禄時代、5代将軍徳川綱吉によって建てられた本来は孔子廟である。東京都文京区湯島一丁目、JR中央線の御茶ノ水駅聖橋口からでて、聖橋を渡り右手の森の中にあり、「日本の学校教育発祥の地」の掲示がある。
湯島天満宮(湯島天神)とともに、年間(特に受験シーズン)を通して合格祈願のために、参拝に来る受験生が訪れる。特に、合格祈願の鉛筆を買っていく受験生の姿が多く見受けられる。国の史跡に指定されている。
 国指定史跡 湯島聖堂 指定 1922/3/8
   始まりは1630年徳川幕府の儒臣、林羅山が上野忍岡に建てた家塾とされています1632年、尾張藩の始祖徳川義直はこれを助け、孔子の聖像と顔子(ガンシ)・曽子(ソウシ)   子思(シシ)  孟子(モウシ)の四賢像を祀る先聖像を寄進しました。
   1690年、徳川5代将軍綱吉が、この廟殿を湯島に移し、先聖殿を大成殿と改称しました。そのときから、この大成殿と附属の建物を総称して聖堂と呼ぶようになりました。
   1797年、幕府直轄の学校として、「昌平坂学問所」が開設され、総括的に「聖堂」と呼ばれていたものから分離し、孔子廟(大成殿)関係のものだけを「聖堂」と称するようになりました。
  1799年に新築された黒塗りの中国風の壮麗な大成殿は、国の史蹟に指定された翌年の1922年の関東大震災により全焼してしまいましたが、1935に鉄筋コンクリート造りで再建され、第二次世界大戦をくくり抜け、現在にいたっています。 湯島聖堂のパンフレットより


 湯島聖堂の案内図


     
むこうの森が湯島聖堂 手前はJR御茶水駅 
2016/8/19撮影
  孔子像 2016/8/19撮影 
     
大成殿(孔子廟)    園内はこんなに静か 
     
 湯島聖堂御朱印