台湾の交通
台湾の交通は航空路、海路、鉄路(国営、公営、民営、軽便鉄道)、自動車道がある。
台湾の交通は東西は中央山脈で、南北は河川により阻害されている。そのため初期の台湾の交通は小船による沿岸航行による交通が主であった。当時の台湾では「一府二鹿三モウコウ(艋舺)」という言葉があり、海運の発達により現在の台南、彰化県鹿港、台北万華が重要な地位を占めていた。清朝統治末期になるとようやく南北の陸上交通整備が行われ、また東西の交通に関しても沈葆楨、呉沙(中国語版)等によって淡蘭古道(中国語版)、八通関古道等、雪山山脈や中央山脈を貫く山道が整備された。陸上交通の整備は更に進められ劉銘伝による基隆-台南間の鉄道敷設計画が立てられた。しかし後任の清朝官人は台湾のインフラ整備を重視せず、鉄道は大甲渓までの測量を完了させながら、実際には基隆-台北間、台北-新竹間のみが開通したに過ぎなかった。それでも中国大陸に先んじた鉄道敷設は交通史の中で特筆に価する事跡と言える。

日清戦争後下関条約が締結されると台湾は日本に割譲され、台湾総督府主導の下、現在の台湾交通の基礎が整備されることとなった。縦貫線が新竹より屏東県枋寮まで延伸されたほか、それまで交通整備が遅れていた東部の花蓮-台東間の鉄道建築も進められた。また西部平原では産業の発展に従い糖業、塩業専用の軽便鉄道が整備された。また軍事空港の整備に伴い航空路線も開設されていった。この時期の台湾は日本内地同様左側通行が採用されており、また鉄道の電化、環島鉄道計画、高速道路、捷運、高速鉄道などの計画が立案・実行され現在の台湾の交通システムが完成している。

陸上交通
道路
詳細は「台湾の国道」を参照
公道総延長距離:41,475km (2014年)
国道:988km(+汐五高架、五楊高架、新生高架1054KM)
省道:4,721km(快速公路737km)

国道標識
台湾の道路交通は本島及び離島地区を網羅しており、その管理体系より国道、省道、県道、郷道、專用道路の5種類に区分されている。また地方自治体が設置する「大道」「快速道路」「市道」「区道」にも市区道路(都市道路)となっている道路が存在する。主要な国道を紹介すると、国道1号は中山高速公路と称され、1970年代に基隆港と高雄港を結ぶ総延長373.3kmとして着工された。国道3号はフォルモサ高速公路と称され基隆から屏東県林辺を結ぶ高速道路である。国道5号は蔣渭水高速公路と称され国道3号の南港ICより分岐し宜蘭蘇澳までの高速道路であり、台湾の東西を連絡する唯一の高速道路となっている。


省道標識

快速公路標識
省道標識は盾型であり、現在約60路線(省道番号を使用する自動車専用道路を含む)が整備されている。台北市の忠孝路と中山路の交差点(台5線、台1線、台3線、台9線、台1甲線の交差点、行政院と監察院前)を道路原点とし、南北路線には奇数番号、東西路線には偶数番号が割り当てられている。主要な省道としては南北縦貫道路の台1線があり、19世紀には現在の路線が整備されていた。また台8線は中部横断道路であり、台9線が東部的縦貫道路となっている。台61線は西部臨海自動車専用道路となっており、1992年に着工され現在まで漸次開通している。このほか国道1号線と国道3号線を連絡する道路として12本の自動車専用道路も1992年より整備が開始され、現在はその大部分が開通している。

番号 名称 区間 全長
km
現況 備考
国道1号 中山高速公路 基隆-高雄
372.7 全線開通 予定楊梅 - 新竹間の路幅拡張工事。
国道2号 桃園環線 桃園空港 - 鶯歌 20.4 6車線化、8車線化完工。
国道2甲 大園支線 西濱公路 - 大園交流道 2.0 未開通 未着工
国道3号 フォルモサ高速公路
(第二高速公路)
基隆 - 林辺 432.0 全線開通 枋山まで延伸計画
国道三甲 台北連絡線 台北 - 深坑 5.6 国道快速公路, 深坑外環道より国道5号に連絡
国道4号 台中環線 清水 - 豊原 18.5 一部開通 大坑、太平、霧峰を経由し国道3号に連絡予定
国道5号 蔣渭水高速公路 南港 - 蘇澳 54.0 全線通車 花蓮、台東を経由、中央山脈を横断し大武山で国道3号と連絡予定
しかし建設資金問題、経済効果、環境問題等により現在計画は再検討中
国道6号 水沙連高速公路 霧峰 - 埔里 38.0 花蓮まで延伸計画あり
国道8号 台南支線 台南 - 新化 15.5 台南サイエンスパーク、台南市を経由、台61線と連絡
国道10号 高雄支線 左営 - 旗山 33.8 左営は高雄都会快速公路及び新左営駅に連絡
日本の降伏を受け、中華民国政府が接収した台湾島内の鉄道路線を運営する目的で設立された台湾鉄路管理委員会を直接の前身とする鉄道事業体で、1948年3月1日に発足した。設立当初は地方政府である台湾省政府の管轄下であったが、台湾省の機能が凍結された1999年に中央政府の管轄下となって現在に至る。台北駅ビルに本部を構え、2018年11月現在の局長は張政源。
台湾の鉄道は台湾島内にのみ存在しており、その種類は経営主体別に①中華民国行政院の各局が経営する国営路線、②各公社が運営する公社路線、③民間が運営する民営路線、及びに④糖業、塩業、林業会社などが運営している軽便鉄道(地元では軌間が標準軌の半分という意味の「五分車」と呼ぶ)の4種類に大別する事ができる。
リカ(集中動力車)・韓国(客車)製のE1000型電車(大湖駅にて。)
太平洋戦争(大東亜戦争)で1945年に日本が敗北すると、台湾は中華民国(南京国民政府)の統治下に入り、台湾総督府鉄道も中華民国当局によって接収され、台湾鉄路管理局に組織改編された。その後、国民政府は国共内戦の敗北で中国大陸を中国共産党に奪われ、1949年に中央政府を台湾へ移転せざるを得なくなった。
以後、台湾国民政府が中華人民共和国と共に「中国代表」国家の座の正当性を主張する「二つの中国」の時代に入り、台湾でも1987年7月まで戒厳令(動員戡乱時期臨時条款)が発動されるという異常事態となった。鉄道はそのような中でも台湾の重要な産業、軍事設備と見なされて整備が進み、まず1978年から1979年にかけて縦貫線の電化が進められた。また、1980年2月に北廻線が完成して台東線と花蓮新駅(現 花蓮駅)で接続、1982年にはその台東線が1067mmに改軌されて北廻線との直通が実現し、更に1991年には南廻線が開通して「環島鉄路」(台湾一周鉄道)がようやく完成した。
製糖鉄道の最盛期の1950年代には3000kmに達する路線があり、このうち41路線、延長614kmでは旅客営業も実施。しかし、1982年7月16日の嘉義線(北港-嘉義間)を最後に旅客扱いは全廃されてしまったが、今一部の製糖工場は定期のトロッコ列車が運行されている。
2007年には、車両は日本の新幹線方式を、電気・制御系統はヨーロッパのTGV方式を採用した台湾高速鉄道が1月5日に試験開業し、3月2日に台北 - 左営間で正式開業した。この高速鉄道の開通に伴い、台鉄は西部幹線の輸送体系を従来の長距離輸送主体から近距離の通勤通学輸送を主体とする体系にシフトする事を決定し、「台鉄捷運化」という計画を作成した。
中華民国による台湾鉄道の動力近代化(無煙化)は1950年代から始まり、ディーゼル機関車はアメリカ、気動車は日本で製造されたものが台鉄に投入された。その後、1972年の日中国交正常化で日華関係が冷却化したこともあり、1970年代後半の西部幹線の電化はフランスの技術支援によって行われ、電気機関車はアメリカ、電車はイギリスや南アフリカ等日本以外の国から導入された。そのため、台湾の鉄道は様々な国の技術を混載したものとなっている。ただ、2000年代以降は日本からも電車を導入している他、台湾で製造された車両(台湾車輌)も登場し始めている。
国営路線

瑞芳駅を行き交う特急「普悠瑪号」(左)と宜蘭線の区間車(中央)、及び深澳線の区間車(右)

楠梓駅に停車する軍用列車
阿里山森林鉄路(阿里山線)の列車
太平山森林鉄道の観光用列車
交通部台湾鉄路管理局 (台鐵、TRA)
西部幹線(基隆 - 枋寮)
縦貫線(基隆 - 高雄)
北段(基隆 - 竹南)
海線(竹南 - 彰化)
成追線(成功 - 追分)
山線(竹南 - 彰化)
南段(彰化 - 高雄)
屏東線(高雄 - 枋寮)
東部幹線(八堵 - 台東)
宜蘭線(八堵 - 蘇澳)
北廻線(蘇澳新 - 花蓮)
台東線(花蓮 - 台東)
南廻線(枋寮 - 台東)
旅客支線
平渓線(三貂嶺 - 菁桐)
深澳線(瑞芳 - 八斗子)
内湾線(新竹 - 内湾)
集集線(二水 - 車埕)
沙崙線(中洲 - 沙崙)(台湾高速鉄道接続のため)
六家線(竹中 - 六家)(台湾高速鉄道接続のため)
旧山線(元台中線の一部)(三義 - 后里)※トロッコ列車運転予定
貨物支線
基隆臨港線(基隆 - 基隆港)※現在基隆軽軌東二線への転換計画がある。
台中港線(台中港 - 貨運弁公室)
花蓮臨港線(北埔 - 美崙)(美崙 - 花蓮)
高雄臨港線(高雄市の環状貨物線)※昔は観光列車があった。現在高雄捷運環状軽軌への転換計画がある。
計画線
北宜直線鉄道(南港 - 頭城 - 礁渓)
恒春線(内獅 - 恒春)
海生館線(車城 - 海生館)
中部横断鉄道(台中 - 花蓮)
台湾のMRT