岡本梅林・岡本公園

昔から、「梅は岡本、桜は吉野、みかんは紀の国、栗丹波」と唄われた岡本梅林の起源は明確でないが、羽柴秀吉の来訪が記されているところよりかなり古くから存在していたようである。寛政十年(1798)には「摂津名所図会」に岡本梅林の図が登場する程盛んとなった。
明治維新後は、国学者大国隆正が「岡本の梅とききつつ来てみれば 梅の中なる岡本の里」と詠じているように全村の各戸に梅の木を植え、増田右衛門所有の約3ヘクタールの梅林をはじめとして、相当広い範囲にわたっていた。
明治三十年頃から観梅期に国鉄が臨時駐車場を設けるようになり、明治三十八年に開通した阪神電車が青木停留所を設けるにいたり岡本の観梅は阪神間における年中行事の一つとなった。
このように令名をうたわれた岡本梅林も昭和十三年の災害で山が崩れ、戦災で梅の木も消滅し、その後の開発で宅地化され、、ほとんどがその面影を残さない状態なっていたが、このたび岡本梅林を記念し「岡本公園」としてその一部を復活整備した。 昭和57年2月→現地看板より



 
 
  江戸時代の岡本梅林(摂津名所図会より)
神戸市立博物館所有
 A:岡本梅林、B:岡本公園(梅林公園)、C:岡本南公園
                         (桜守公園)