更新:2015年10月1日



 犬山城の歴史
犬山城は天文六年(1537)に織田信長の叔父にあたる織田与次郎信康によって造られました。
戦国時代なのでその後何代も城主が代わりましたが1600年の関ヶ原合戦の頃を中心に城郭が整備されていきました。
 小牧長久手合戦(1584)の際には豊臣秀吉が大阪から12万余の大軍を率いてこの城に入り小牧山に陣を引いた徳川家康と戦いました。
 江戸時代になり、尾張藩の付家老成瀬隼人正正成が元禄四年(1618)に城主となってからは成瀬家代々受け継いで明治にいたりました。
城郭など天守閣を除く建物がほとんど壊されてしまいました。
 明治四年(1871)九代目成瀬正肥のとき廃藩置県で廃城となり城門を除く建物はほとんど壊されてしまいました。
明治二四年の濃尾震災で天守閣の東南角の付櫓などひどく壊れましたのでそれを修理する条件で再び成瀬家所有の城となりました。
 その後伊勢湾台風などでも被害をうけましたが昭和36(1961)年から40年に解体修理をおこないました。
望楼型の独立天守閣で高さは24メートルです。
国宝に指定されている犬山城、松本城、姫路城の中では最も古い城であります。
 平成16(2004)年 財団法人 犬山城白帝文庫が設立され、城の所有は個人から財団法人になりました。
(現地の看板より)


   
   
   


   











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