豊川稲荷(とよかわいなり)は、愛知県豊川市豊川町にある曹洞宗の寺院。
正式の寺号は妙厳寺(みょうごんじ)。詳しくは「円福山 豊川閣 妙厳寺」(えんぷくざん とよかわかく みょうごんじ)と称する寺院である。 境内に祀られる秘仏「豊川吒枳尼真天(だきにしんてん)」の稲穂を担いだ姿などから、一般には「豊川稲荷」の名で呼ばれるようになった。
商売繁盛などを願う参拝客ら年間約500万人が訪れる。
また、日本三大稲荷の1つとされる。 豊川稲荷は神社ではないものの、境内の参道には鳥居が立っている。
北海道・東京都・神奈川県・大阪府・福岡県に、別院(下記)を持つほか、修行道場として僧堂を設置している。豊川高等学校を運営。
妙厳寺の本尊は千手観音である。
豊川稲荷の「稲荷」とは、境内の鎮守として祀られる吒枳尼天(だきにてん)のことである。

吒枳尼天は、インドの古代民間信仰に由来する仏教の女神であるが、日本では稲荷信仰と習合し、稲荷神と同一視されるに至った。妙厳寺では「吒枳尼真天」(だきにしんてん)と呼称する。

嘉吉元年(1441年)、曹洞宗法王派(寒巌派)の東海義易によって創建。室町時代末期、今川義元が伽藍を整備した。当時は、豊川(河川名)の近くに広がる円福ヶ丘という高台に伽藍があったが、元禄年間までに現在地に移転した。現存する諸堂は江戸時代末期から近代の再建である。
開祖の東海義易は幼名を岩千代といい、9歳の時に、曹洞宗法王派5世の華蔵義曇の元で仏門に入った。そして、東海地方における法王派の拠点となる普済寺(浜松市)で修行し[注釈 4]、その後、諸国の行脚に入った。永享11年(1439年)、荒廃した真言宗寺院・歓喜院(豊橋市)を再建し曹洞宗に改め、その2年後、豊川の円福ヶ丘の地に妙厳寺を建立する。存命中に妙厳寺の跡を次世に譲り、再び歓喜院に隠栖した。







豊川稲荷境内案内図



以下2012年11月14日撮影
豊川稲荷本堂 山門
豊川稲荷法堂
     
     
いなり(裏にある)     


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