播磨屋橋

播磨屋橋(はりまやばし)は、高知市中心部にある道路橋で、長さ約20mの桁橋である。俗に、ひらがなではりまや橋と表記されることも多い。
国道32号支線と、とさでん交通桟橋線が通る。
高知市の観光名所として有名であるが、現在はコンクリート製であることと復元された朱色の播磨屋橋は長さ10m程と短いことなどから[1]、札幌時計台、オランダ坂などと並び「日本三大がっかり名所」と揶揄されることも多い[2]。


名称の由来
江戸時代に、高知の豪商である播磨屋と櫃屋(ひつや)は、互いに本店が堀で隔てられていた。この両者の往来の為に架けられた私設の橋が、「播磨屋橋」(はりまや橋)の名称の由来である。[4]
城下町・高知の中心部に位置しているので、橋の付近には、江戸時代初期に、遠江国掛川(現・静岡県掛川市)から移住した山内家の家臣たちの住居が集まっていた。


竹林寺の僧・純信が恋人である鋳掛屋の娘・お馬の為に髪飾りを買ったという悲恋物語は「よさこい節」の歌で有名である。
はりまや橋は江戸時代から使われていた堀川に架かる木製の小橋で火事で焼失後も架け替えられ明治期にも使用されていた。平成10年はりまや橋公園の改修にあわせて、江戸時代のはりまや橋を再現(イメージ)し公園内に設置された。
明治41年10月にかんざしの形をした欄干を持つ鋳鉄製の橋に架け替えらた。
大正末から昭和にかけて高知駅から南に延びる新道の建設、1928年の土佐電鉄桟橋線延伸開業に伴う高知市の街路整備により、はりまや橋周辺が開発され、目抜き通りに一変した。そのため、鋳鉄製のはりまや橋は昭和4年に撤去。撤去後は三翠園に移設、平成10年に「はりまや橋公園」の完成に合わせて再度移設。三翠園にはレプリカを朱塗りにして設置。
昭和25年石造りの欄干の橋になり、昭和33年南国博覧会の記念に歩道と車道の間に朱塗りの欄干が設置された。翌年、ペギー葉山が歌う「南国土佐を後にして」および、同名の映画で全国的に有名になる。平成9年に再整備事業により朱塗りの欄干は撤去、石造りの欄干を設置。撤去された朱塗りの欄干ははりまや橋公園の地下広場に移設展示されている。
1960年代に入ると、製紙工場からの排水に起因する市街地河川の水質汚濁が顕著となり、堀川はほぼ全長に渡って埋め立てられた。
1998年に朱色の欄干から石造りの橋にリニューアルし、はりまや橋公園を整備する際に歴代の播磨屋橋が復元され、橋の下には人工水路が設置された。
2012年には、播磨屋橋公園にペギー葉山の楽曲「南国土佐を後にして」の歌碑が建てられた[4]。碑は午前8時半から午後8時半まで1時間おきにペギー本人の歌声が流れ、隣に建てられた鯨の親子が潮を吹く仕組みになっている。なお、同碑は全国から集まった1600万円の寄付金で建立され、除幕式にはペギー葉山本人も出席した[5]。
播磨屋橋南方にははりまや交差点があり、とさでん交通桟橋線のはりまや橋停留場、はりまや橋バス停留所が位置する交通の中枢となっている。

はりまや交差点では、東西方向が国道32号となっており、県庁前交差点を起点とする国道55号・国道56号・国道195号・国道197号・国道493号が重複している。北方(播磨屋橋・高知駅方面)へ国道32号支線が分岐し、南方へ高知県道34号桂浜はりまや線が分岐する


2014年3月29日に現地に行った。以下はそのときの写真である。