更新:2015年11月2日



大山(だいせん)は日本の鳥取県にある標高1,729mの火山で、鳥取県および中国地方の最高峰である。角盤山(かくばんざん)とも呼ばれるほか、鳥取県西部の旧国名が伯耆国であったことから伯耆大山(ほうきだいせん)、あるいはその山容から郷土富士として伯耆富士とも呼ばれる。古来より日本四名山に数えられた。日本百名山や日本百景にも選定され、鳥取県のシンボルの一つとされている。
大山は中国山地から離れた位置にある独立峰で、主峰の剣ヶ峰や三鈷峰などの中央火口丘の峰とと、烏ヶ山や船上山などの外輪山の峰の総称である。山体は東西約40km、南北約35km、総体積120km3を越える。]岡山県側にある擬宝珠山・蒜山(上蒜山、中蒜山、下蒜山)・皆ヶ山なども含むことが多く、専門家には同じ山系とされる。西日本火山帯に属す。最高点は剣ヶ峰であるが、剣ヶ峰に至る縦走路が通行禁止とされていることや、古くから第二峰の弥山(1,709m)で祭事が行われたことから、一般には弥山を頂上としている。
大山は、約100万年前からおよそ1万数千年前までの火山活動によって形成された山です。 約60万年前から40万年前にかけて、大規模な火山活動が始まり、船上山、甲ケ山、矢筈ケ山まで 続く現代の山麓の原型をつくりました。この時期を古期大山と呼んでいます。 また、10万年の休止期をはさみ、約30年前から再び活発な活動を始めました。爆発的な噴火が主となり 大量の火砕流や降下軽石火山灰が噴出し古期大山を覆い、現在のような広大な山麓域をつくりました。 この時期を「新期大山」と呼んでいます。  その後、1万7千年前、大山の中心部の地下から、溶岩が上昇し、ドーム状の溶岩円頂丘(弥山・ 三鈷峰・烏ケ山など)を創り出しました。…現地の看板による


大山の登山図 

 


 大山の頂上の避難小屋付近に「一木(いちぼく)一石(いちせき)運動」という看板があった。内容は次のように書かれていた。 「中国地方最高峰の大山は、日本百名山にも数えられ、登山者が多く、昭和40年代から50年代には山頂に 生育していた高山植物群落が踏み荒らされほとんどなくなり、昭和60年代には頂上の裸地化、土壌侵食 、土砂流出による崩壊が問題になりました。このような状況を憂慮し、昭和60年(1985年)4月に地元 自然保護団体や行政機関が集まって「大山の頂上を保護する会」が始まりました。この運動は登山者一人一人が保全活動に参加するボランティア活動であり、これらのボランティア活動と行政が共に協力してきた 全国的にも稀な例です。現在はおおむね植生が回復しつつありますが、かっての状況に近づけるため 現在でも活動が続けられています」。
 大山はまた花の百名山でもあります。ダイセンクワガタ


2015年11月1日撮影
   
 大山6合目  頂上付近の風景
 
 大山の頂上
   
 6合目から日本海を望む 頂上付近の板 
   
 大山頂上避難小屋 頂上避難小屋の内部