更新:2020年2月2日

愛宕山(あたごやま、あたごさん、おたぎさん)は、山の名前。日本各地に愛宕山の名前をもつ山がある。多くは愛宕神社と関連のある山(伝播地名)であるが、その大元の愛宕神社(山城国葛野郡)の名も山名に由来する。
愛宕山は京都府京都市右京区の北西部、山城国と丹波国の国境にある山である。京都市街を取り巻く山の中で、比叡山と並びよく目立っており、信仰の山としても知られる。
山頂は京都市に所在するが、約1.5km西に市境があり、山体は亀岡市にまたがる。標高924m。三等三角点「愛宕」(890.06m)は山頂の北方約400mの地点に所在する。 京都盆地の西北にそびえ、京都盆地東北の比叡山と並び古くより信仰対象の山とされた。神護寺などの寺社が愛宕山系の高雄山にある。山頂には愛宕神社があり、古来より火伏せの神様として京都の住民の信仰を集め、全国各地にも広がっている(愛宕権現参照)。亀岡市側の登山口にも「元愛宕」と呼ばれる愛宕神社がある。 本能寺の変の直前に明智光秀が愛宕神社を参詣し愛宕百韻を詠んだことでも知られる。亀岡市から愛宕山への登山道は光秀が通ったことから「明智越え」と呼ばれている。 昭和初期には愛宕神社参詣の足として愛宕山鉄道が山上までのケーブルカーを敷設し、あわせてホテルや遊園地もある愛宕山遊園地が開かれ、観光客で賑わった。しかし世界恐慌や戦争の影響で客足が落ち、第二次世界大戦末期にはケーブルカーが不要不急線として廃線になり遊園地やホテルも閉鎖された。これらは戦後再開されることが無かった。市街地に近い山として戦後観光客が増加して発展した六甲山などとは対照的である。
当地には次のような看板があった。
清滝
この付近、愛宕山(あたごやま)東南麓の地名である。 洛西の名山.愛宕山は千三百年前、役小角(えんのねづの)によって開かれ、平安遷都以前に慶俊僧都(けいしゅんそうず)が愛宕山大権現(だいごんげん)を祀って以来、愛宕信仰が深く民衆の間に根を下ろしている。
山頂には火伏せの神として信仰が厚い愛宕神社があり、山腹には空也上人の修業の遺跡と伝えらえる空也滝、日暮し滝、また、大鷲峯には月輪寺がある。
清滝は愛宕参りの宿場として開け、今では、春の桜、夏の蛍のほか、特に紅葉を楽しむ絶好の場所として人気を集めている。
清滝川北区の小野郷(おのごう)に源を発し、北山杉の木立を抜け、栂尾(とがのう)槇尾(まきのお)高雄尾の麓を通って、清滝に達し、更に下って落合で保津川に合流する。
清滝より上流の渓谷は錦雲渓(きんうんけい)、下流は金鈴峡(きんれいきょう)と呼ばれる。清滝川には金鈴橋(きんれいきょう)()塗りの渡猿橋(とえんきょう)のほか、青竜橋(せいりゅうきょう)が架かっている。京都市

月輪寺(つきのわでら、がつりんじ)は、京都市右京区嵯峨清滝月ノ輪町にある天台宗の寺院。山号は鎌倉山(かまくらやま、けんそうざん)。本尊は阿弥陀如来。開基(創立者)は泰澄と伝える。 京都盆地の西にそびえる愛宕山(924m)の東方の深い山中に位置する山岳寺院である。かつては愛宕大権現白雲寺であった愛宕神社(愛宕山山頂に位置する)との関係が深く、また空也、法然、九条兼実などのゆかりの寺として知られる。境内には親鸞の手植えと伝える時雨桜があり、シャクナゲの名所としても知られる。法然上人二十五霊跡第十八番。


         

2008年11月29日撮影 参道から上る
   
 途中の休憩所 途中より京都市内を眺める 
   
水尾への分かれ目  愛宕神社の入り口 
   

愛宕山山頂へ登るには清滝バス停からいくとした場合原則として参道(石段)を登る場合と月輪寺を経由して登る場合の2つノケースがあります。2008年11月29日には参道を、2009年7月20日には月輪寺を経由して登りました。


 
2009年7月20日撮影 
   
向うに見えるのは清滝トンネル  バスの終点 
   
 愛宕山へ登る参道との分かれ目 杉木立 
   
 空也滝 月輪寺 
   
 親鸞像  
   
 愛宕神社内部 愛宕神社境内案内図