メタセコイアの並木
メタセコイア並木

マキノ高原のメタセコイア並木
マキノ高原へのアクセス道路(滋賀県道287号小荒路牧野沢線)には、全長2.4 kmのメタセコイア並木がある。直線道路沿いに円錐形のメタセコイアが連なることによって、対称性の強い景観がつくられており、また落葉高木であるメタセコイアの四季折々の表情が見られる。1994年には、読売新聞社選定の「新・日本街路樹100景」のひとつに選定され、観光地として注目されている。

この並木は1981年、学童農園「マキノ土に学ぶ里」を整備する事業の一環として[4]、マキノ町果樹生産組合が約500本の苗木を県道沿いに植えたことがはじまりである。以後、地元の保存会によって手入れ、並木道の延伸がなされている。

交通

自動車
名神高速道路 京都東インターチェンジより、琵琶湖西縦貫道路などを経由、約80分。
北陸自動車道 木之本インターチェンジより、国道8号・国道303号などを経由、約30分。
北陸自動車道 敦賀インターチェンジより、国道8号・国道161号などを経由、約40分。
舞鶴若狭自動車道若狭上中インターチェンジより、国道303号などを経由、約30分。
公共交通機関
湖西線(JR西日本)マキノ駅より「マキノタウンバス」(コミュニティバス、運行は湖国バス)マキノ高原線にて、「マキノ高原温泉さらさ」バス停下車。
マキノ民宿村とマキノピックランドの間に植えられている。→ウィキペディアより

1981年(昭和56年)、学童農園「マキノ土に学ぶ里」整備事業の一環としてマキノ町果樹生産組合が管理地内に防風林として1.8kmわたってメタセコイア440本を植栽し、翌年これに続く県道にも地元牧野区が植栽を行い、総延長2.4km(約500本)になる。当初、約2mの苗木を植えたものの500本の幼木の管理は充分行き届かず、並木の一部で枯れたものや強風により芯(先端)の折れたものなど様々な形のものがあるが、現在では約25m程度にまで成長している。

メタセコイア当時は、メタセコイアではなく桜並木にという意見もあったが、桜百選に選定されている海津大崎の桜並木が近くにあること、果樹園(当時はくり園)を運営していることから防風林が必要であったこと、また整備当時近隣より化石が発見されていたことも理由となりメタセコイアが選ばれた。
1994年11月、読売新聞社の「新・日本の街路樹百景」に選定されて以降は、観光地として注目を集めている。
2010年9月には「日本紅葉の名所100選」(主婦の友社選)にも選ばれている。

2010年(平成22年)11月には、地元住民や周辺関係団体の理解と協力を得る形で、市民参加型のボランティア組織「マキノのメタセコイア並木を守り育てる会』が設立され、並木道の維持保全活動を実施している。
2022年11月26日に現地へ行った。この並木道は素晴らしい。幹線道路であるので車の行き来も激しい。中には道路沿いに車を止めている人もいた。また道路に飛び出して写真を撮る人もいた。1981年にメタセコイアの並木道を造ると決断された方が素晴らしい。ここは
観光客は大勢いた。特にマキノピックランドはメタセコイア並木に隣接する農業公園で、栗
をはじめ様々な果物狩りのできる観光果樹園です。地元農家の野産物の直売所やジェラートの製造販売所レストランなどを併設しているのでごたがえしていました。
以前マキノ高原さらさから赤坂山に登ったことがある。そこは新緑の頃に行けばイワカガミ
の群生があり、登りも容易で赤坂山の頂上は風がきつく、帽子をとばされそうになった記憶
がある。赤坂山は比良山系の一つで頂上はトレキングコースの一つとの記憶がある。


道路にでて写真を撮る人
がいるのであぶない

マキノ民宿村からマキノ
ピックランド
まで並木が続く

歩道には大勢の人が
 
マキノピックランドから
並木を眺める
   
 
マキノピックランド
には大勢の人が