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清水寺

更新:2016年3月20日

清水寺(きよみずでら)は、京都府京都市東山区清水にある寺院。山号を音羽山。本尊は千手観音、開基(創立者)は延鎮である。もとは法相宗に属したが、現在は独立して北法相宗大本山を名乗る。西国三十三所観音霊場の第16番札所である。清水寺は法相宗(南都六宗の一)系の寺院で、広隆寺、鞍馬寺とともに、平安京遷都以前からの歴史をもつ、京都では数少ない寺院の1つである。清水寺は奈良時代にはじまる延鎮上人という僧侶が開いたお寺です。観音様のお告げに従い音羽の滝にたどりついた場所が、清水寺のある音羽山でした。彼は音羽の滝のそばに家を建てすみつきました。その後、坂上田村麻呂(平安時代の優れた武人)が、清水寺のある音羽山で鹿狩りに出かけたときに、延鎮上人に殺生を戒められます。それに感銘を受けた坂上田村麻呂は妻と共にお堂を建てます。このお堂が清水寺のお寺としての始まりといわれています。水寺がどのようにできたかという話には諸説あるそうですが、現在では坂上田村麻呂が清水寺の基礎となるお堂を建てた、という説が正しいとされています。清水寺は、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)で採択された世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約に基づき、「古都文化財」のひとつとして世界遺産リストに登録されました。このことは、人類全体の利益のために保護する価値のある文化遺産として、とくに優れて普遍的価値をもっていることを国際的に認められたことになります。 清水寺は、「清水寺縁起」によると、宝亀9年(778)に僧延鎮が音羽の滝上に観音を祀ったことに始まり、延暦17年(798)年には坂上田村麻呂が仏殿を建立して桓武天皇の勅願寺となったと伝えます。創建後何度も火災によって焼失しましたが、その都度再建され、現在は西門・三重塔・経堂・田村堂・轟門・朝倉堂・本堂・阿弥陀堂が東西に並び、その他周囲に仁王門・馬駐・鐘楼・北総門・釈迦堂・奥の院・子安塔・鎮守堂(春日社)・そして鎮守社の地主神社社殿が建っています。大半の建物は17世紀前半に再建されたものですが、こうした景観は13世紀には成立していました。 伽藍の中心になる本堂は寛永10年(1633)に再建された懸造の建物で、いわゆる「清水の舞台」として知られ、林立する高い東柱に貫を縦横に通して豪快な姿をみせています。また、仏堂である石敷の内陣と礼堂である板敷の外陣からなる本体に裳階、正面庇、翼廊、舞台がつくという平面や、その全体に寄棟造・檜皮葺の大屋根をかける架構は、平安時代からの形を受け継ぐものです。 これらの建造物のほか、境内の東寄りには江戸時代初期の借景の技法を用いた成就院庭園が設けられています。なお、これらの周囲に広がる自然景観もみごとです。
   登録年月日 平成6年(1994)12月15日決定、17日登録 京都市


   
 本堂(清水の舞台) 2009/4/3撮影 本堂の内部  2009/4/3撮影 
   
 仁王門 2016/3/31撮影  西門   2016/3/31撮影
   
   
 三重塔 2016/3/31撮影 経堂  2016/3/31撮影
   
   
開山堂(田村堂)  2016/3/31撮影 朝倉堂  2016/3/31撮影
   
   
 大講堂 2016/3/31撮影 釈迦堂  2016/3/31撮影
奥が社務所   
   
   
子安の塔 2016/3/31撮影 地主神社 2016/3/31撮影
   
   
2016/3/31撮影  御朱印  2012/12//1 
子安の塔の奥の方は国有林であり京都トレイルの
道があった。