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壺阪寺


南法華寺(みなみほっけじ)は、奈良県高市郡高取町壺阪にある真言宗系単立の寺院。山号は壺阪山。本尊は十一面千手観世音菩薩。一般には壺阪寺(つぼさかでら)の通称で知られる。西国三十三所第6番札所。
本尊真言:おん ばざら たらま きりく そわか   
ご詠歌:岩をたて水をたたえて壺阪の 庭のいさごも浄土なるらん
草創については不明な点が多いが、伝承によれば大宝3年(703年)に元興寺の弁基上人により開かれたとされる。後に元正天皇の祈願寺となった。
平安時代、京都の清水寺が北法華寺と呼ばれるのに対し当寺は南法華寺と呼ばれ、長谷寺とともに古くから観音霊場として栄えた。承和14年(847年)には長谷寺とともに定額寺に列せられている。貴族達の参拝も盛んであり、清少納言の『枕草子』には「寺は壺坂、笠置、法輪・・・」と霊験の寺の筆頭に挙げられている。また、寛弘4年(1007年)左大臣藤原道長が吉野参詣の途次に当寺に宿泊している。
往時は36堂60余坊もの堂舎があったが、嘉保3年(1096年)に火災にあい伽藍のほとんどが灰燼に帰した。その後、子島寺の真興上人が当寺の復興にあたり、これにより当寺は真言宗子島法流(壷坂法流)の一大道場となった。
承元5年(1211年)に大門、僧房の罹災を始め、数度の火災にあい、戦国時代には戦乱に巻き込まれている。当寺を庇護していた越智氏の滅亡と共に衰退し、残ったのは室町時代の礼堂と三重塔くらいであった。

 南に桜の名所吉野山を控え北に万葉集のふるさと大和三山奈良盆地を一望におさめる奈良盆を一望におさめる壺阪の山に建つ。大宝三(703)年に元興寺の弁基上人がこの山で修行していたところ、愛用の水晶の壺を坂の上の壺に納め、感得した像を刻んでまつったのが始まりという。その後調停壺阪南法華寺の正式寺号を賜った。西国三十三ヵ所の第6番札所。真言宗。札堂に続く本堂八角円堂におわすご本尊は、十一面先手観音菩薩。胸の手を合わせ法力を(たた)えたお姿で衆生救済への力強い意地を感じさせる。殊に眼病に霊験新たな観音像、目の観音様として広く信仰を集めてきました。明治のころ、失明快復祈願にまつわるさわ市お里の夫婦愛を描いた浄瑠璃「壺阪霊験記」が巷に大きな共感を呼び、寺への信仰も広がりました。寺域の山の斜面には、インド渡来の高さ二十mの白い大観音像が立ち、荘厳ながら安らいだ空気を漂わせている。また、大観音石から甘樫丘、飛鳥の里も一望できて、歴史ロマンも楽しめる。春から初夏にかけて、やまぶき、つつじ、ラベンダーが咲き誇り、秋には境内一円のもみじや周辺の山々が色づき山寺独特の鮮やかな紅葉に風景が広がります。
 平成十九年秋あらたにインドより大釈迦如来像「壺阪大佛」が招来されました。
 →壺阪寺のパンフレットより


境内図  
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本堂

大観音石像

壺阪大佛

三重塔