沿革:松尾寺が、その中腹に位する青葉山(六九九米)は、福井県から望見すれば、東西に並び立つ双峰が一つに重なり、その秀麗なさまは「若狭富士」と呼称されている。 富士なくば 富士とやいわん 若狭なる 青葉の山の 雪のあけぼの 御陽成天皇皇子・八条王子 この山は死火山で、昔火焔を吹き上げ、噴流は直下の日本海に注いで凄絶な水煙をあげていたものと思われる。この厳しい表情をたゝえた険峻な山は、早くから修験道修行の場となっていた。 時に慶雲年中、唐の僧、威光上人が当山の二つの峰を望んで、中国に山容の似た馬耳山という霊験のある山があったことを想起された。登山したところ、果 せるかな松の大樹の下に馬頭観音を感得し、草庵をを結ばれたのが、和銅元年(七〇八年)と伝えられる。 爾来、今日まで千三百年を経ているが、その間、元永二年(一一一九年)には、鳥羽天皇の行幸があり、寺領四千石を給い、寺坊は六十五を数えて繁榮した。当地方唯一の国宝の仏画も、美福門院の念持仏であったといわれる。 その後、度重なる火災にあったが、その都度、細川幽斉や京極家によって復興され、現代の本堂は、牧野英成により享保十五年(一七三〇年)に修築された。 当寺は、西国第二十九番札所で、本尊馬頭観世音は、三十三霊場中唯一の観音像であり、農耕の守り仏として、或いは牛馬畜産、車馬交通 、更には競馬に因む信仰を広くあつめている。 |
本堂 |
大師堂 |
経堂 | 仁王門 |
左;妙里大権現 廃仏毀釈のときに分かれた神社 六所神社 |
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華麗な花→神社の横に咲いていました | 鐘楼 |
松尾寺は国道27号線から2km程 山の中にはいったところにあります。 行くには道が細く横は谷底になっています。 山を登れば青葉山とのこと 青葉山は白山火帯の山で 松尾寺の石垣は青葉山 の火山の石であるとのこと |
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