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更新:2016年4月22日


長谷寺


 長谷寺(はせでら)は、奈良県桜井市初瀬(はせ)にある真言宗豊山(ぶさん)派総本山の寺。山号を豊山神楽院と称する。本尊は十一面観音、開基(創立者)は僧の道明とされる。西国三十三所観音霊場の第八番札所であり、日本でも有数の観音霊場として知られる。寺紋は輪違い紋。大和と伊勢を結ぶ初瀬街道を見下ろす初瀬山の中腹に本堂が建つ。初瀬山は牡丹の名所であり、4月下旬〜5月上旬は150種類以上、7,000株と言われる牡丹が満開になり、当寺は古くから「花の御寺」と称されている。また『枕草子』『源氏物語』『更級日記』など多くの古典文学にも登場する。中でも『源氏物語』にある玉鬘の巻のエピソード中に登場する二本(ふたもと)の杉は現在も境内に残っている。
 長谷寺縁起と伽藍
 長谷寺は、山号を豊山(ぶざん)と称し、朱鳥(あかみどり)元年(686)道明上人(どうみょうしょうにん)が天武天皇のために「銅板法華説相図(どうばんほっけせっそうず)」を初瀬山(はつせやま)西の岡に安置したことにはじまりのち神亀(じんき)四年(727)、徳道上人が聖武天皇の勅願によってご本尊十一面観世音菩薩を東の岡にお祀りになりました。徳道上人は観音信仰にあつく、西国三十三か所観音霊場を開かれた大徳(だいとく)として知られ、長谷寺はその根本道場とも呼ばれるゆえんであり、長谷詣(はせもうで)で、長谷信仰は全国に広がりました。下って天正(てんしょう)十六年(1588)、専誉僧正(せんにょそうじょう)がご入山されてより、長谷寺は関係寺院三千か所を有する真言宗豊山派の総本山として
また西国三十三か所第八番札所として、檀信徒は約二百万人、四季を通じて「花の御寺(みでら)」として多くの人々の信仰を集めています。
    長谷寺のパンレットより


 


   
 本堂     2016/4/20撮影
小初瀬山中腹の断崖絶壁に懸造り(舞台造り)
された南面の大殿堂である。
御本尊十一面観音菩薩 2016/4/20
   
 愛染堂  2016/4/20 能満院  2016/4/20
   
 大黒堂 2016/4/20
大和七福神八宝霊場の一所。尊像は弘法大師の御作
と伝わる。商売を繁盛させ、財宝を人々に授け、台所を
守護し、食べ物を満たす御利益がある。
開山堂    2016/04/20
長谷寺開山、徳道上人を祀る。併せて西国三十三か所
各霊場の御本尊様をお祀りしている
   
弘法大師御影堂(こうぼうだいしみえいどう) 2016/4/20
宗祖弘法大師1150年御遠忌を記念して、昭和59年(
1984)総檜で建立された。大師の両側には、細密な版画
「長谷寺版両界曼荼羅」が祀られている。
本長谷寺 (もとはせでら)2016/4/20
天武天皇の勅願により道明上人がここに精舎を造営
したことから、本長谷寺と呼ばれている。
   
 一切経堂 2016/4/20 五重塔 2016/4/20
昭和二十九年、戦後日本に初めて建てられた五重塔で「昭和
の名塔」と呼ばれている。純和様式の整った形の塔で、塔身
の丹色と相輪の金色、軽快な檜皮葺屋根の褐色は、背景とよく調和し
光彩を放っている。 
   
 2016/4/20
六角堂 石楠花がとてもきれいである
登廊 (のぼりろう) 2016/4/20
平安時代の長暦三年(1039)に春日大社の社司中巨信清が
子の病気平癒の御礼に造ったもので、百八間、三九九段、上中下
の三廊に分かれている。下・中廊は明治二十七年(1894)再建で
風雅な長谷型灯篭をつるしている。
   
 祖師堂奥の院 2016/4/20 陀羅尼堂 (だらにどう) 2016/4/20
長谷寺の塔頭寺院、正堂(しょうどう)(興教大師堂)、礼堂
(陀羅尼同)を併せ菩提院と称する。
   
 左:藤原定家の塚 2016/4/20
右:藤原俊成の碑
二本の杉 (ふたもとのすぎ)2016/4/20
謡曲「玉髪」は源氏物語玉髪ノ巻に拠ったもので
初瀬詣の旅僧の前に現れた玉髪の霊が、僧を長谷寺の
「二本の杉」の下に案内し、この杉の下で
亡母の侍女右近をめぐりあった話を述べるという物語に
なっている。
   
 大講堂と本坊2016/4/20

緑色の桜の花 御衣黄(ぎょいこう)
   
 牡丹2016/4/20 紅花トキワマンサク 2016/4/20
   
 オオデマリ    2016/4/20  2016/4/20
   
 ハナズオウ 2016/4/20