母養山 恩山寺

弘法大師の母ゆかりの寺


小松島市郊外の小高い山の樹林が心地よい、県指定の風致地区にある。元は女人禁制の道場だったが、弘法大師がここで修行している時に、大師の生母・玉依御前が讃岐の善通寺から訪ねてきた。これをきっかけに、大師が7日間で女人解禁の秘法を修め、無事親子の対面を果たし、母君「玉寄御前」はここで出家しました。母君は剃髪をして、その髪をこのお寺に奉納された事から、山号寺名を「母養山恩山寺」としました。大師堂の手前には、「大師御母公剃髪所」の石碑と小さなお堂が建ち、大師作と伝えられる「御母公像」と母君の髪の毛が安置されている。
小松島市郊外の小高い山の樹林が心地よい、県指定の風致地区にある。縁起をたどると、創建は聖武天皇(在位724〜49)の勅願により、行基菩薩が草創して、当時は「大日山福生院密厳寺」と号した。本尊には行基菩薩が薬師如来像を彫造して安置し、災厄悪疫を救う女人禁制の道場であった。十九番霊場に向かって下る「花折り坂」という坂から上には、女性が入ることは許されていなかったのである。延暦年間(782〜806)になって、弘法大師がこの寺で修行をしていたころという。大師の生母・玉依御前が讃岐の善通寺から訪ねてきた。だが、寺は女人禁制、大師は山門近くの瀧にうたれて7日間の秘法を修し、女人解禁の祈願を成就して母君を迎えることができた。
やがて母君は剃髪をして、その髪を奉納されたので、大師は山号寺名を「母養山恩山寺」と改め、自像を彫造して安置され「我が願いは末世薄福の衆生の難厄を除かん」と誓われた。弘仁5年(814)ころのことと伝えられる。
寺は「天正の兵火」で焼失しているが、江戸時代になって阿波藩主の庇護をうけて繁栄し、現在の本堂や大師堂は文化、文政年間(1804〜30)ころに建立された由緒ある建造物である。境内には玉依御前を祀る小堂があり、母君に孝養をつくして、大師が植樹した「びらんじゅ」は、県の天然記念物にもなっている。母君を慕いつくした大師のこころが、いまも宿っているような寺である。

恩山寺の見どころ
玉依御前の剃髪所・弘法大師像・「源義経上陸の地」石碑(境内の山裾にあり、近くの


井戸寺から約20km

母養山 恩山寺

境内案内図




本堂

大師堂