百々山 善楽寺

歴史の波にうけながらも再興


高知城へは約6㎞、JR高知駅まで約4㎞というこの辺り一帯は、往時「神辺郷」といわれ、土佐では最も古くから栄えた地方である。 縁起によると、桓武天皇が在位(781〜806)されていたあとの大同年間に弘法大師がこの地を訪れ、土佐国一ノ宮・総鎮守である高鴨大明神の別当寺として、善楽寺を開創され霊場と定められた。
以来、神仏習合の寺院として法灯の護持につとめ、神仏の信仰を啓蒙して栄えている。とくに土佐2代藩主・山内忠義公のころには武門の庇護をうけて寺は興隆し、繁栄をきわめた。だが、明治新政府による廃仏毀釈の難を受けて寺運は一変し、昭和4年に再興されるまで苦難の日々が続いた。その後、2ヶ寺で納経ができるなど混迷の時期を経て、平成6年1月1日を以って「善楽寺」は第三十番霊場として現在にいたっている。

2022年3月18日現地に行った。入り口は狭く入りにくかったが、善楽寺に行くと駐車場
もあった。大きな道路からはいるとむらさきはなながさいていた。

本堂左隣の大師堂は大正時代の建立。ここの大師像は「厄除け大師」として知られ、厄年にお参りしたり、交通安全などを祈願すると霊験があらたかと伝えられる。また、境内には「子安地蔵堂」があり、弘法大師作といわれるやさしいお顔の地蔵尊が祀られている。難産で苦しんでいる妊婦を、大師が祈祷し安産させたという伝説があり、安産や子宝祈願にご利益があるといわれる。さらに水子供養の祈願にも参詣する人が多い。
本坊前は開放的な雰囲気が漂う。土佐一ノ宮の別当寺として栄えた古刹である。

梅見地蔵:文化18年(1816年)に作られた。このお地蔵様は首から上の病気に利益があると言い伝えられており、脳の病気(ぼけ・ノイローゼ)・目・耳・鼻また試験合格
・学問向上を願う方々でお詣りが絶えません。以前は大師堂梅の木の下にあり、梅の花
を仰ぎ見る姿であったことから「梅見地蔵」と名付けられました。整地の都合で現在の場所にお移りいただいた後も御利益は変わりなく多くの方の尊嵩を得ています。
                    三十番 善楽寺

楽寺の見どころ
梅見地蔵・天邪鬼・本堂(昭和58年に改築。)

国分寺から徒歩約7km、車約8km

境内案内図