藤井山 岩本寺

本殿天井に飾られた575枚の板絵がみどころ→住職のアイデアで各自の自由に絵をかかせそれを天井にはった。従って自分の絵を見に来る人もいる


岩本寺の歴史・由来
清流四万十川が流れ、標高が300m程の高南台地が広がる四万十町に、五尊の本尊を祀る岩本寺は建立されている。歴史は天平の世まで遡る。寺伝によれば、聖武天皇の勅を奉じた行基菩薩が、七難即滅、七福即生を祈念して、現在地より北西約3㎞の付近にある仁井田明神の傍に建立したと伝えられる末寺七ヶ寺をもつ福圓満寺が前身とされる。仁井田明神の別当職(別当寺)であったことから、仁井田寺とも呼ばれていた。弘法大師がこの寺を訪ねたのは弘仁年間。大師は一社に祀られていた仁井田明神のご神体を五つの社に別け、それぞれの社に不動明王像、観音菩薩像、阿弥陀如来像、薬師如来像、地蔵菩薩像を本地仏として安置した。大師は、さらに末寺五ヶ寺を建立された。このことから、福圓満寺等は七ヶ寺と合わせて十二福寺、また仁井田明神は仁井田五社と呼ばれていた。
天正時代に兵火等で寺社共に一時衰退してしまう。再建の際に、この地域の全ての神社を管掌下においていた岩本寺(当時は岩本坊)に、寺の法灯並びに別当職は遷され、継承される。戦国・江戸時代には武将や藩主等から寺領等の寄進を受け、神仏習合の札所として隆盛を誇っていた。明治になると神仏分離の政策で仁井田五社と分離され、五尊の本地仏と札所が岩本寺に統一され、それに伴う廃仏毀釈の法難に遭い、寺領地の大半を失ってしまう。再建には苦難の道が続いたのであるが、少しずつ伽藍を整備し現在に至っている。

岩本寺は宿坊があり、朝6時から本殿でおつとめ(お経)がある。
ここは四国88カ所でおつとめがある数少ないお寺

岩本寺の見どころ
大師堂・本堂内陣の格天井画

青龍寺から徒歩約57km、車約58km

境内案内図





本堂

大師堂

朝おつとめを頂く人

朝おつとめを頂く人

今は1つしかない御仏