蹉跎山 金剛福寺

境内に亜熱帯植物が茂る高知最南端の寺院

金剛福寺の歴史・由来
四国の最南端、国立公園の足摺岬を見下ろす丘の中腹にあり、境内は120,000平方メートルを誇る大道場。弘法大師はその岬突端に広がる太平洋の大海原に観世音菩薩の理想の聖地・補陀落の世界を感得した。ときの嵯峨天皇(在位809〜23)に奏上、勅願により伽藍を建立、勅額「補陀洛東門」を受し、開創したと伝えられる。弘仁13年、大師49歳のころといわれる。
岬は、濃緑の樹海と白亜の灯台、それに断崖に砕ける波涛、観世音さんの浄土を連想させ、自然の大庭園に圧倒させられるのだが、ここにたどり着く遍路の旅もまた壮絶を極める。前の三十七番札所から80余km、いまは車で約2時間余、歩いたら約30時間、3泊4日はかかり、四国霊場の札所間では最長距離で、まさに「修行の道場」である。
縁起の仔細をみると、大師は伽藍を建立したときに三面千手観世音像を彫造して安置し、「金剛福寺」と名づけられた。「金剛」は、大師が唐から帰朝する際、日本に向けて五鈷杵を投げたとされ、別名、金剛杵ともいう。また、「福」は『観音経』の「福聚海無量」に由来している。歴代天皇の勅願所となり、武将からも尊崇された。とくに源氏一門の帰依が厚く、源満仲は多宝塔を建て、その子・頼光は諸堂の修復に寄与している。
戦国時代以降、海の彼方にある常世の国・補陀落浄土を信仰して、1人で小舟を漕ぎ出す「補陀落渡海」が盛んだったことや、一条氏、山内藩主の支えで寺運は隆盛した。
大師因縁の「足摺七不思議」といわれる遺跡が、岬の突端をめぐるように点在している。
金剛福寺はとにかく遠い(岩本寺から80kmあまり)、17時に寺に着かないとお詣りできない。納経所が閉まってしまう。しかし ここは宿坊があるとのこと。おつとめはあるか不明だが、ここで泊まり朝活動することも可能である。
近くに足摺岬や四国森林管理局管轄の足摺亜熱帯植物園がある。しかしその植物園は
普段管理する人もいない。トイレも使用禁止とある。大きな植物園ではあるが。

金剛福寺の見どころ
本尊・三面千手観世音立像・土佐五色石の庭園・真念庵・嵯峨天皇宸筆の勅額(「補陀洛東門」と彫られた木額。嵯峨天皇は弘法大師、橘逸勢とともに平安初期の能筆家「三筆」の1人。)



岩本寺から徒歩約85km、車約89km

境内案内図

本堂

大師堂

山ぶどうの1種

キバナカタバミ(外来種)

宿坊