普明山 熊谷寺

四国霊場のなかで最大級の仁王門を構える。縁起によると弘仁6年、弘法大師がこの地の閼於ヶ谷で修行をされていた。その折、紀州の熊野権現があらわれ「末世の衆生を永く済度せよ」と告げられ、5.5センチほどの金の観世音菩薩像を授け、虚空はるかに去っていったという。大師はその場にお堂を建てて、霊木に自ら一刀三礼して等身大の千手観音像を彫造し、その胎内に金の尊像を納めて本尊にされた、と伝えられている。境内にその鎮守堂があり、熊野権現が祀られている。元禄2年(1689)の寂本著『四國禮霊場記』には、「境内は清幽で、谷が深く、水は涼しく、南海が一望できる。千手観音像の髪の中には126粒の仏舎利が納められてある」とあり、当時の境内の様子がうかがえる。
元禄のころ(1688〜1704)までに幾度か火災にあった説もある。ただ、昭和2年(1927)の火災では本堂とともに弘法大師作のご本尊も焼失している。その後、歴代住職の尽力により本堂は昭和15年に再建されたが、第二次大戦で工事が中断、ようやく同46年に堂宇の全容が完成、新造された本尊の開眼法要が営まれた。前述の仁王門は、貞享4年(1687)の建立で、徳島県の指定文化財である。和様と唐様の折衷様式で、間口は9メートル、高さは12.3メートル。2層目の天井や柱には極彩色(ごくさいしき)の天女の姿などが描かれている。大師堂に安置されている弘法大師坐像は室町時代の作で、県指定の文化財である。

十楽寺から約4km


見所:師堂・多宝塔・弁天島(納経所横にあり、太鼓橋のかかった安産の祈願所。)

境内案内図


本堂